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2021/04/13

「往復書簡」による間口の広さと奥深さ、平松洋子×姜尚美『遺したい味 わたしの東京、わたしの京都』

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「わたしの東京、わたしの京都を遺したい味で綴った本」というのが、この本の中身であり、「わたしの東京」を綴るのは平松洋子、京都を綴るのは姜尚美さんだ。

1月末発行で、その頃、姜さんからいただいた。

姜さんとは、前のエントリーで紹介した『雲のうえ』22号「うどん特集」で初めてお会いした。「うどん特集」は、姜さんとおれとで文を担当したからだ。

身体の調子もあったが、内容が濃いので、読むのに時間がかかった。

単なる「遺したい味」ではないこと、「往復書簡」という方法、「東京」と「京都」、平松洋子と姜尚美という組み合わせ、このあたりは企画レベルのことだろうが、とてもうまくいって、ふくらみがあって奥行きのある内容、「東京」と「京都」の違いはもちろんそのあいだにあることまで浮かんでくる面白さがある。

そびえたっている味、あるいは、そびえたっているように書かれた味ではなく、暮らしと絡みあっている「わたしの」「まちの味」が綴られる。

しかし、「わたし」と「くらし」と「東京」と「京都」の絡みぐあいは、ずいぶん違う。

姜さんは、京都市生まれで京都市で暮らす。平松洋子は、岡山県倉敷市生まれで、大学入学で上京したようだ。

とうぜん「味」も違えば、「味」とのふれあい方も違う。

それらのことによって生まれる、内容の濃さやふくらみは、一人のワザではできないことだ。

東京は新宿のハズレ2丁目にある「隨園別館」は、おれもかつてよく行った店だ。それが「新宿」にあることは自然だったし、行くと必ず食べたそこにしかない「合菜戴帽」も、そこにあるのが自然で、よく考えたことはなかった。そのあたりが、本書で合点がいった。

ご主人の張本さんは、こういう。

「高級な店って、つくろうと思ったら誰でもつくれちゃうと思うんです。でも、歴史の深い店は、すぐには絶対につくれない。みんな高級な方向を向きたがるけれど、うちは飾り気がなくて、ボロだけど味がよくて、歴史を感じる店になりたい」

合菜戴帽は高級な食材は使ってない。したがって、ときどき、家でもそのモドキを作って食べている。モドキであって、あの味には遠いが、うまい。

京都の「平野とうふ」では、姜さんが、こんなことを書いている。これは「ひろうす(がんもどき)」の話に続いてあるのだが。

「京都は分業制のまちです。着物でも、お菓子でも、お香でも、分業制の各段階で究められた仕事が折り重なるようにしてものが出来上がっています。それは「受注部分しか知らない」という分業ではなく、「全体を知りつつ、部分を担う」という分業のあり方です。それぞれの段階の職人が、「最終的にこうなってもああなっても大丈夫」という練度の高い余白を持たせた仕事をした結果、「なんとものういい(なんとも言えずよい)」、濃密な余白を持つものがそこに出来あがるわけです」

なるほどねえ。

「鼻息荒く商うのではなく、むしろ気配を抑えて土地の力に委ねてきた」(グリル富久屋/京都・宮川町)という言葉にも通じるようだ。

鼻息荒く自己主張する仕事がぶつかりあう東京と、京都はだいぶ違うのだが、平松洋子の「わたしの東京」は、けっして鼻息荒くない。

ただ、東京は、全体像がわかりにくくなっているし、余白がすくなくなっている、そういうことも感じる。そこに「わたしの東京」があるわけで。

平松洋子は長く住んでいる西荻窪の「しみずや」というパン屋を綴るときだけ、「わがまち」という言葉を使っている。

姜さんが、自分の暮らしがしみこんだような、分業制の網の目のようなまちを、自転車に乗ったり、あるいは闊歩し、うまそうに食べているようすが目に浮かぶ。

鼻息荒くないデザインと写真もいい。

淡交社 2021年1月30日発行。
デザイン 有山達也、岩淵恵子、中本ちはる(アリヤマデザインストア)
写真 キッチンミノル(東京) 佐伯慎亮(京都)

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