ウチから東大宮駅へ行く途中の、「離農過程」にあると思われる農家の庭先に「ふき」が密生し、「ふきお売りします」のサインがあった。
何度か書いたように、このあたりは、東京から鉄道沿線に沿って続いている家並みが途切れ、田畑が広がっていく「都鄙臨界地帯」だ。駅から5分も歩けば、「田園都市」なんていうオシャレなものではない、野雑な景色がある。そう、おれは「野雑都市」と呼びたい。耕地と荒地と空き地と住宅が、雑然と入り混じる「まち」なのだ。都心の猥雑とはちがう猥雑感があって、おれは好きだ。
なんて書くと、土地の人に、東大宮のイメージを落とすなんて怒られるかも知れないが、こういうところでは、「なんとなくエコロジー」「なんとなくナチュラル」「なんとなくスロー」が成り立つ。つまり無理のない、エコロジー、ナチュラル、スローが可能なのだ。それは東京の都心から「発信」される、バリバリのヨロイを着たようなエコロジーやナチュラルやスローと大いにちがう。だいいち、都心と比べたらのんびりしているもん。
道路端の「ふきお売りします」も、そうした景色の一つだろう。きのうのエントリーに、ちょっとだけ書いた「むすび市」を開催の、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」も、そうだと思った。
「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」は、ここに越してまもなく、ある物書き女子がメールで、こんなところがあるよとサイトを教えてくれた。見ると、バリバリのエコ系ナチュラル系という感じだった。でも、行ってみようかと、何度か近くを通ったのだが、それらしいのが目に入らない。
これは、あとで考えると、ヒジョーにおもしろいことだった。つまり、ネットで見て、バリバリのエコ系ナチュラル系という印象を持った瞬間、おれは都心から発するメディアに登場する、いかにも「地球にやさしい」感じを押付けがましく主張する、ソフトでウディでペンキな外観を知識として、イメージしていたのだ。知識がモノゴトの実際を見誤らせる、よい例だった。何度も、その建物を見ているのに、そこが、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」だとは思わなかった。
そこは、なんの変哲もない、味も素っ気もない高度成長期的新建材の外観が、そのまま古くなっただけの建物なのだ。まさに経済的合理性を追及した、昭和の建物だけど、「昭和レトロ」の仲間にはされない、安っぽいだけの、それなのだ。
おれは少なからず感動した。これは、自分のやれるやり方で、一歩づつやろうということではないか。もちろん、いまのところ仕方なく、そうしているのかも知れないが、見かけより内容で始めようという意思を感じた。なんてのかな、無理がない。土地に根ざしている。
いま、エコ系ナチュラル系というと、ハヤリの宝石を身につける感じのものが少なくない。都心あたりで、そういうのって、無理があるなあと思う。身体に悪いこと、たくさんやりながら、ナチュラルローソンで買い物をしているような無理というか。やたら「高級感」にあふれている。
ま、バリバリなヨロイを着たようなヘビーでマニアックもよいけど、無理なく自然に少しずつやる「なんとなくエコロジー」「なんとなくナチュラル」「なんとなくスロー」でないと、おれのような俗悪な凡人は近づけないのだな。
とにかく、そんなわけで、きのうは混雑していたこともあり、何も買わなかったのだが、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」は、また行ってみたい気になる存在になった。
「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」のブログ「MacocoroDiary」
http://macocorochaya.typepad.jp/diary/
きのうの「むすび市」に出品していた気になる農場。
見沼たんぼで有機農業を始めた若いご夫婦の「風の谷農場」。「季節のお野菜宅配便」もある。
http://wvfarm.exblog.jp/
重松荘シアターでお会いした、気になる「エコ見沼」。
http://estrela.ciao.jp/minuma/