とりとめのない歩行 東大宮往来者。
去年から、別にブログを立ち上げようと思っていたのだが、新しいブログを立ち上げてしまった。
こんなことしている場合じゃないけど、そんなときにかぎって、エイッヤッとやりたくなって、やってしまうものだな。しかし、今度は、FC2を使ったのだが、使いこなせば、よさそうなんだが、ほとんど全貌がわからないまま、テキトウに設定をして始めた。
これまで当ブログのカテゴリーに、「見沼区・宇都宮線・東大宮(店)」と「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」を設けて、東大宮界隈をいろいろ書こうと思っていたけど、ここではほかのことが優先しがちで、うまくいかない。なのに、地元のことだから、しょっちゅうふらふらして、ネタも写真もたまるのに、ほっておくうちに、あちこちで聞いたネタは忘れてしまう。そのうち、めんどくせえ、ってことで、そのまま。
近頃は、ツイッターやフェイスブックが中心になりつつある人が多いようだけど、どちらも、のんびりしたところに欠けるようになった。
余裕がないというか。とりとめのないつぶやきを楽しむより、目的や目標の追求、それもあらかじめ絞られたテーマにそったプロモーションのような機能というか。それは、その必要があって、大いに有用という人も多いだろうし、それについて、とやかくはない。しかし、けっきょく、マスコミや大手広告代理店のミニ判じゃないの。マスコミや大手広告代理店がやるなら悪だが、自分が小さくやる分にはよいとか、同じクラスタならよいという感じで、それはチョイと違う感じがする。
小さいからよい、面白いじゃなく、なんだかはみだしているから面白い、こんなのは誰も面白がらないだろうなあということを、ツイッターやフェイスブックだから楽しむ。そんな余裕が、だんだん無くなっている感じだ。なにかにつけ、なにかの得点稼ぎ。それも、成功という階段につなげるための。
ま、世間が世知辛いから、仕方ないのだろうが。ニッチにしがみつきながら、マスにのることを目指しているような動きもあり。自分が好きに出来るメディアで、これでは、どうもな、という感じもある。
こういうおれも、近頃は、もっぱら告知などのプロモーションが多くなっているような気がして、ますますツマラナイ。ツマラナイことは、あまりやりたくないから、ばかしか書いてなかったフェイスブックでも、近頃はほとんど投稿してない。ツイッターは、酔ってるときが多いが、おれは酔うと、割とまっとうなことを言いやすいので、オモシロクナイ。
それに、おれは、あまりひとのことには、興味がない。この場合の、ひとは、個人のことだが、誰がこういった、誰がこんなことしている、そんなことは、どうだっていいじゃないか、大雑把にいこうよ、なのだ。これでは、ますます、ツイッターなど縁がなくなる。でも、ツイッターは続けるだろうけど。
とにかく、見られることも、何かの成果も期待することなく、ま、何かになったらなったでよいが、とりとめのない歩行をやるには、ブログがよい。これまでも、そうやってきたのだ。そんな気がしている。
ってことで、「東大宮往来者」、サブに「とりとめのない歩行 さいたま市見沼区東大宮と東大宮から」とのたもうて、はじまり、はじまり。
http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/
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きのうの朝は、前夜の酒がデレデレと肉体に宿っていた。鈍い頭で資料をパラパラ見る、企画をアレコレ考える。うーん、これは誰に相談したらよいかな~と思案していると、武カメちゃんからメールあり。そうそう、彼女がいるではないか。なんとまあ、こういうのを「以心伝心」というのか、こんど会うときに資料を持っていくことにする。って、ことで一件落着したわけではないが、天気はよいし、遅い昼めしを食べ散歩でもしようと、13時半ごろウチを出る。
インドカレーが食べたく、東大宮西口の「ニューデリ」へ。昼ピーク時を過ぎていたのに、思っていたより混雑。都鄙臨界のハンパなまちで、けっこうなことではないか。ここは、前にも書いたが、インドカレーとはいえ、辛さがたちまくるそれとは少しちがう。たっぷりのタマネギ炒めのトロトロがベース、ネパール料理の味覚の趣がある。もちろん辛くしてもらえるが、あまり辛さを感じない「普通」レベルが、酒で弱っている胃袋にやさしい。ナンがでかい、それにカバブやタンドリーチキンなどの盛り合わせのランチ・セット、それにやっぱり生ビールも頼んでしまったから、ガッチリ腹に詰め込むことになった。
腹ごなしに、東北本線の東側、南東方面の見沼たんぼを初めて散策しようと、線路沿いに、一つ大宮駅に近い隣の土呂(とろ)へ向かう。数分で見沼たんぼ。とはいえ「たんぼ」はない。芝川沿いに、なんにもない草の原と畑が、無秩序になりゆきまかせな感じで、デレデレゆるく広がる風景が気持よい。高い木もなく、ただ空が広いのが、いいねえ。ゆるくて、大らかだねえ。あまり規格化されてない貸し農園らしき状態のあいだに、ところどころ「プロの畑」らしいのがあって、「野菜直売」の旗が立っている(2番目の写真)。てな、ところだ。
デレデレのろのろ歩き、10数分で、市民の森。ここも、なんとなく、だだっ広くだらしなく広いのが、すごく気持ちよい。なんてのかな、キチンと管理された秩序ある公園というのは、それはそれで美しい。だけど、やはり誰かさんの「美学」を押し付けられるような窮屈がある。人工的であり工学的であり、タイトな美しさといおうか、「自然」に親しむ環境とはちがう。
ところが、ここは、よくデザインされ管理された公園にはない、どことなく崩れたルーズな「ゆるさ」が自然であり、美しくも気持が和むのだ。「市民農園」のコーナーがあって、どうやら貸し農園のようだ。そばの「親子農業体験教室」の畑では、数名の主婦らしきが、耕運機の使い方を教えてもらっていた。うーむ、なかなか、これも普通の公園にはない、よい景色ですねえ。
なので、今日は、のんびりしちゃいられないのだが……。書評のメルマガの原稿締め切りも迫っている。書評のメルマガの連載は、今回で終わりだから、パスするわけにはいかない。連載を始めるときから、初回は江原恵さんの『庖丁文化論』、最終回は玉村豊男さんの『料理の四面体』と決めていたので、そのようにするつもりだ。
その撮影している位置から先に踏み切りがあって、その先の右側に旗がひらめいていた。近づくと、大きな屋敷の入口の立派な植え込みに、「梨直売」「ぶどう」の幟が立っている。ときどき、この前を散歩して、前からぶどうやなしの畑があることは知っていたが、このように直売しているとは知らなかった。
ま、そういうことは、いいや。線路を背中に、なし畑を撮影。ついでに、今年の冬、ちがう位置から、畑と屋敷を撮影していたから、掲載しよう。この左端の道路の左側に、ぶどう畑がある。

東大宮から第二産業道路(国道5号線)を南へ向かって徒歩30分弱、東武野田線大和田に至る前に東側つまり左側の小道に入ったら、こんな景色があった。大和田駅からなら、10分ぐらいのところと思われる。ひと月ほど前、4月上旬の撮影。




これまで掲載した、たんぼはない緑地「見沼たんぼ」の画像は、宇都宮線の西北方面の上流域だ。きのう天気がよかったので、反対の南東側を撮影しに行った。



見沼区の区名になっている「見沼」の自然は、江戸時代からの田んぼ開発で「田んぼ」と化した。人の手が開発したものは、人が不用になれば捨てられる。関東平野内陸の大農業地だった埼玉が「ダサイタマ」と揶揄されるようになったのは、「農業の危機」だか「農村の危機」だかと「地方の時代」がいわれだした80年ごろだったか?それともバブル直前だったか。
この画像は、陸橋の北側。無秩序な畑。近くに団地や比較的新しい住宅街があるから、そこの人たちが「家庭菜園」でもやっているのだろうか。