2013/05/10

とりとめのない歩行 東大宮往来者。

去年から、別にブログを立ち上げようと思っていたのだが、新しいブログを立ち上げてしまった。

こんなことしている場合じゃないけど、そんなときにかぎって、エイッヤッとやりたくなって、やってしまうものだな。しかし、今度は、FC2を使ったのだが、使いこなせば、よさそうなんだが、ほとんど全貌がわからないまま、テキトウに設定をして始めた。

これまで当ブログのカテゴリーに、「見沼区・宇都宮線・東大宮(店)」と「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」を設けて、東大宮界隈をいろいろ書こうと思っていたけど、ここではほかのことが優先しがちで、うまくいかない。なのに、地元のことだから、しょっちゅうふらふらして、ネタも写真もたまるのに、ほっておくうちに、あちこちで聞いたネタは忘れてしまう。そのうち、めんどくせえ、ってことで、そのまま。

近頃は、ツイッターやフェイスブックが中心になりつつある人が多いようだけど、どちらも、のんびりしたところに欠けるようになった。

余裕がないというか。とりとめのないつぶやきを楽しむより、目的や目標の追求、それもあらかじめ絞られたテーマにそったプロモーションのような機能というか。それは、その必要があって、大いに有用という人も多いだろうし、それについて、とやかくはない。しかし、けっきょく、マスコミや大手広告代理店のミニ判じゃないの。マスコミや大手広告代理店がやるなら悪だが、自分が小さくやる分にはよいとか、同じクラスタならよいという感じで、それはチョイと違う感じがする。

小さいからよい、面白いじゃなく、なんだかはみだしているから面白い、こんなのは誰も面白がらないだろうなあということを、ツイッターやフェイスブックだから楽しむ。そんな余裕が、だんだん無くなっている感じだ。なにかにつけ、なにかの得点稼ぎ。それも、成功という階段につなげるための。

ま、世間が世知辛いから、仕方ないのだろうが。ニッチにしがみつきながら、マスにのることを目指しているような動きもあり。自分が好きに出来るメディアで、これでは、どうもな、という感じもある。

こういうおれも、近頃は、もっぱら告知などのプロモーションが多くなっているような気がして、ますますツマラナイ。ツマラナイことは、あまりやりたくないから、ばかしか書いてなかったフェイスブックでも、近頃はほとんど投稿してない。ツイッターは、酔ってるときが多いが、おれは酔うと、割とまっとうなことを言いやすいので、オモシロクナイ。

それに、おれは、あまりひとのことには、興味がない。この場合の、ひとは、個人のことだが、誰がこういった、誰がこんなことしている、そんなことは、どうだっていいじゃないか、大雑把にいこうよ、なのだ。これでは、ますます、ツイッターなど縁がなくなる。でも、ツイッターは続けるだろうけど。

とにかく、見られることも、何かの成果も期待することなく、ま、何かになったらなったでよいが、とりとめのない歩行をやるには、ブログがよい。これまでも、そうやってきたのだ。そんな気がしている。

ってことで、「東大宮往来者」、サブに「とりとめのない歩行 さいたま市見沼区東大宮と東大宮から」とのたもうて、はじまり、はじまり。
http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/


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2010/11/12

東大宮操車場をひとめぐり。

あまりこんをつめて考えていても、よいアイデアが浮かぶわけでなし、心身にもよくない。

ことしも、もうおわりのようなもので、とはいえ、おわるまえにやりたいことはあるわけで、もうこんな状態ならおわりにしちゃおうかなということもあるわけで、とりあえず、アレコレ考えながら散歩でもしようかと出かけた。

ここにひっこして、見沼たんぼの東大宮操車場にかかる陸橋を、こちら側から真ん中へんまではいったことがあるが、向こう側まで渡ったことがなかった。なので、きょうはいったのだ。

まずは、この夏に撮った、こちらからの画像

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つぎは、きょう、陸橋の真ん中へんから、見沼たんぼの川でいえばくだり方面、電車でいえばのぼり大宮方面を撮影。

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そして、向こう側からの写真。陸橋の、ウチがある側には、高校と中学と小学校があり、反対側にも高校があるので、よくこの陸橋を生徒たちがランニングしている。

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陸橋を渡りきったところに「見沼田圃の散歩道⑤」という標識があった。左、東大宮親水公園、右、東大宮操車場、とある。おれは、親水公園のほうから来て、操車場のほうへ。道にそって、タップリの水の用水路。

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私立のなんたら小学校や、操車場の横を通って、川でいえば下り方面、電車でいえば上り方面にある、別の陸橋をわたって、もどるコース。その陸橋の真ん中へんから、さきほどの陸橋が見えるほうを撮ったのだが、写真では陸橋がわからない。

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その陸橋から、さらに見沼たんぼの下手を眺め、東北本線である宇都宮線の電車が走るところも撮影。左手がくだり、東大宮、右手がのぼり、土呂になる。

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この陸橋は、夜中に大宮からタクシーで帰るときに通るのだ。たいがい泥酔状態だけど。

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で、さらにウロウロして帰ってきた。けっきょく、歩いて眺めるのが楽しく、なにも考えなかった。鉄ちゃんでなくても、陸橋の上から線路や電車を眺めているとロマンだねの気分だったし。とにかく気分よく散歩できたのであった。

そうそう、田舎にもどっていた新宿下層民のキモ男、やっぱりまたもとのネグラに帰ってきた。おれも、「キモイ」なんて、いわれたことがあったな。ま、おれはともかく、キモ男はまだ若いのだから、よろしく頼むよ。

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2010/02/18

味覚生活を楽しむアクセントとしての、地元のインド料理屋、東大宮「ニユーデリ」。

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東大宮には、楽しめる飲食店が、けっこうある。味覚生活を、どう楽しむかは、それぞれだけど、近くにインド料理やエスニック料理の店があると、味覚生活にアクセントをつけやすいような気がする。もちろん、インド料理やエスニック料理の店がなければ、ほかの方法で、味覚生活にアクセントをつけることをするだろう。ファッションに限らず、より味覚生活を楽しむためには、何かしら、アクセントが必要だということだ。高級なものである必要はない。ときには、たとえば缶バッジがアクセントになったりするように、チキンラーメンなどがアクセントになったりする。

ニューデリについては、すでに何度か書いている。ランチCは、サラダ、お好みのカレー一品、カバブとチキンの皿、ナンかライスで、850円。Aは、値段を忘れたが一番安い、サラダ、お好みのカレー一品、ナンかライス。Bは、やはり値段を覚えていないが中間だろう、サラダ、ナンかライス、日替わりのカレーとお好みのカレー一品。都心では、このコストパフォーマンスは無理だろう。

いつもうれしいのは、生ビールが、うまいこと。泡のきめこまかさ。注ぎ方もさることながら、サーバーの掃除がゆきとどいている感じだ。ときどき、ここの生ビールが呑みたくなる。ってことで、きのうの昼間、生ビールを2杯も呑んでしまった。

だんだん知られてきたのか、混むようになった。午後2時過ぎに行ったのに、テーブルの7割ぐらいは、カップルで埋まっていた。

ニューデリは、まちの暮らしのアクセントでもあるようだ。


関連
2009/12/02
地元東大宮お散歩日和。ニューデリ→市民の森→ちゃぶだい、大満足。

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2009/12/02

地元東大宮お散歩日和。ニューデリ→市民の森→ちゃぶだい、大満足。

012きのうの朝は、前夜の酒がデレデレと肉体に宿っていた。鈍い頭で資料をパラパラ見る、企画をアレコレ考える。うーん、これは誰に相談したらよいかな~と思案していると、武カメちゃんからメールあり。そうそう、彼女がいるではないか。なんとまあ、こういうのを「以心伝心」というのか、こんど会うときに資料を持っていくことにする。って、ことで一件落着したわけではないが、天気はよいし、遅い昼めしを食べ散歩でもしようと、13時半ごろウチを出る。

013インドカレーが食べたく、東大宮西口の「ニューデリ」へ。昼ピーク時を過ぎていたのに、思っていたより混雑。都鄙臨界のハンパなまちで、けっこうなことではないか。ここは、前にも書いたが、インドカレーとはいえ、辛さがたちまくるそれとは少しちがう。たっぷりのタマネギ炒めのトロトロがベース、ネパール料理の味覚の趣がある。もちろん辛くしてもらえるが、あまり辛さを感じない「普通」レベルが、酒で弱っている胃袋にやさしい。ナンがでかい、それにカバブやタンドリーチキンなどの盛り合わせのランチ・セット、それにやっぱり生ビールも頼んでしまったから、ガッチリ腹に詰め込むことになった。

014腹ごなしに、東北本線の東側、南東方面の見沼たんぼを初めて散策しようと、線路沿いに、一つ大宮駅に近い隣の土呂(とろ)へ向かう。数分で見沼たんぼ。とはいえ「たんぼ」はない。芝川沿いに、なんにもない草の原と畑が、無秩序になりゆきまかせな感じで、デレデレゆるく広がる風景が気持よい。高い木もなく、ただ空が広いのが、いいねえ。ゆるくて、大らかだねえ。あまり規格化されてない貸し農園らしき状態のあいだに、ところどころ「プロの畑」らしいのがあって、「野菜直売」の旗が立っている(2番目の写真)。てな、ところだ。

023デレデレのろのろ歩き、10数分で、市民の森。ここも、なんとなく、だだっ広くだらしなく広いのが、すごく気持ちよい。なんてのかな、キチンと管理された秩序ある公園というのは、それはそれで美しい。だけど、やはり誰かさんの「美学」を押し付けられるような窮屈がある。人工的であり工学的であり、タイトな美しさといおうか、「自然」に親しむ環境とはちがう。

029ところが、ここは、よくデザインされ管理された公園にはない、どことなく崩れたルーズな「ゆるさ」が自然であり、美しくも気持が和むのだ。「市民農園」のコーナーがあって、どうやら貸し農園のようだ。そばの「親子農業体験教室」の畑では、数名の主婦らしきが、耕運機の使い方を教えてもらっていた。うーむ、なかなか、これも普通の公園にはない、よい景色ですねえ。

けっこう歩いたつもりでウチにもどったが、まだカレーが腹にドッシリ座った感じ。そのまま、寝てしまった。目が覚めたら、のどは渇き、生ビールが飲みたいよ~の気分。ならば「ちゃぶだい」へ行ってビールを飲もうと、また出かける。19時半ごろだったか。

席につくと、大将が「遠藤さんですね」とおっしゃる。2009/11/17「東大宮、「ちゃぶだい」のジャズエイジなモダニズム」を、ご覧いただいていたのだ。初対面ではないが、初対面のように、挨拶。ここの板長さんは、てんぷらが得意だそうで、この日はアナゴ天の特別があったのだが、残念ながらカレーをガツンと食べ過ぎて、チョイと無理だ。ってことで、さっぱり系つまみを注文。ちゃぶだいサラダに、らっきょうのもろみ漬、超メタボ鯵の刺身。もろみ漬のらっきょう、たまらんうまさ、いい酒のつまみ。生ビール2杯飲んで、のち清酒。秋鹿の生原酒を、ゆるく燗してもらって、大事にとっておいたらっきょうをかじりながら飲む。静かな落ち着いた、これぞ、大人の酒でありました。

大満足状態でウチにもどったが、こんな、のんびりなことはめったになく、すぐ寝てしまった。ようするに飲み疲れ騒ぎ疲れがたまっていたのか。

030なので、今日は、のんびりしちゃいられないのだが……。書評のメルマガの原稿締め切りも迫っている。書評のメルマガの連載は、今回で終わりだから、パスするわけにはいかない。連載を始めるときから、初回は江原恵さんの『庖丁文化論』、最終回は玉村豊男さんの『料理の四面体』と決めていたので、そのようにするつもりだ。

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2009/09/05

東大宮、なしもぶどうも畑で売ります。

2009/05/06「「ふきお売りします」という土地の「麻こころ茶屋」やエコ系など。」では、畑で「ふきお売りします」の画像を載せた。

2009/07/12「東大宮、地元萌えの日。」では、「じゃがいもお売りします」の画像を載せた。いまこの畑にはネギがあるし、ナスも売っている。

そことはちがう場所だ。

きのう、東大宮駅西口から東北本線(宇都宮線と呼んだりする)の線路沿いに大宮方面へ向かった。すると、大宮方面から、「コンテナ車」というべきか、貨物列車が来た。おれの横を青森方面へ走り抜ける。意外に長い列車だった。おれの横を走り始めてから、そうだ写真を撮ろうと思い立ち、バッグからデジカメを取り出してかまえても、まだ列車は走っていた。その音は、まさに、「轟音」だった。「車」の音が、いくつも重なって、きこえるのだ。貨物列車の轟音は、客車のような疾走軽快感はなく、荒々しく重量感のある響きだ。

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005その撮影している位置から先に踏み切りがあって、その先の右側に旗がひらめいていた。近づくと、大きな屋敷の入口の立派な植え込みに、「梨直売」「ぶどう」の幟が立っている。ときどき、この前を散歩して、前からぶどうやなしの畑があることは知っていたが、このように直売しているとは知らなかった。

「梨直売」の幟に、大宮東部梨組合の名前が入っている。果物も野菜も、生産から出荷の過程では、収穫に続いて選別作業をしなくてはならない。市場に出す場合は、ずいぶん細かい等級わけになる。選別作業は煩雑なので、収穫したものを、共同で選別し出荷するところに持ち込む。組合があって、栽培農家がそれなりにあれば、それが可能だが、少なくなってきたら、どうなるか。「共同」は機能しなくなる。自力で、直売か「もぎとり観光農園」など、なんとか販売につなげるしかない。

畑があれば生産はできるが、販売につながる方法がなければ、マイナスが積み重なる。食っていくための農業ビジネスとなれば、それは解決しなくてはならない問題だ。生産、流通、消費がうまくつながって成り立つ。それは、どんなビジネスもおなじ。農業が特殊なのは、土地や気候に縛られることだ。

いま、政府がカネをつぎこんで、「野菜工場」や「植物工場」の育成が盛んだ。完全空調の密閉空間で、土もつかなわない栽培は、システムが完成すれば、土地や気候にしばられることはない。おまけに、除草剤も殺虫剤もいらない無化学肥料での栽培も可能になる。いちおう、これまでのガイドラインが正しければ、とても「安全」で「安心」なものができる。それは、これからの都市に対応するシステムとして、育成が進んでいる。なんと、すばらしい、都市の未来像ではないか。

現代の都市が、農薬を大量につかう農業をシステムとして必要としたように、これからの都市は、「野菜工場」や「植物工場」を必要とする。そういうものとして、構想されている。しかし、そこには、なにか、カンジンなことが欠けているような気がする。

自分の生き方として農業とどういう関係をつくるかという議論のない「まちづくり」、人を集めカネを集めればよい都市の「再生」だの「活性化」は、さらにおかしな結果になるだろうと思う。そうやって、日本の現代都市は腐敗を深めるものなのかも知れないが。「農薬」「無農薬」も、そういうなかで決まってきたことで、「農薬」は悪、「無農薬」は善、なんていう短絡的な決めつけからは、展望は開けない。

003ま、そういうことは、いいや。線路を背中に、なし畑を撮影。ついでに、今年の冬、ちがう位置から、畑と屋敷を撮影していたから、掲載しよう。この左端の道路の左側に、ぶどう畑がある。

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さらに、この先、線路沿いに行くと、駅から5分ぐらいかで、ここ「見沼たんぼ」緑地に出る。

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2009/05/07

見沼。農村的残像。

Oowada016東大宮から第二産業道路(国道5号線)を南へ向かって徒歩30分弱、東武野田線大和田に至る前に東側つまり左側の小道に入ったら、こんな景色があった。大和田駅からなら、10分ぐらいのところと思われる。ひと月ほど前、4月上旬の撮影。

以前、与野や北浦和に住んでいたときも、同じような「長屋門」のある、「農家」というには豪壮な屋敷があった。そのうちの一つは荒廃がすすんでいて、近所のラーメン屋で聞いたところでは、主が先物取引に失敗し人手に渡ったかどうかしたということだった。ほかの二か所は、周囲に住宅やマンションがひしめくなかに、大きな長屋門が一軒の屋敷のように残っていた。そういうところでは、もはや、かつての農村や農業をイメージすることも困難である。だけど、ここのばあいは、まわりにまだ耕作地があって、この一角だけだが、なんとなく農村な雰囲気を感じさせた。

しかし、どんな農的な営みがあったのかを想像することはできなかった。おれの知識の貧しさもあるだろうが、こういう風景は、建物には「遺産」的価値は認められることがあっても、建物を含めた風景にあったはずの人の営みについては「行方不明」になってしまうことが少なくないのだなと気がついて、おわった。

生産を支えた無名の労働が「行方不明」になるように、その営みは語り継がれることなく消えてしまう。それが農の場を弱めてきた一因でもあるだろうし、こういう歴史が続くなら、無名の労働が支える生産が息を吹き返すことはないのだ。かりに大きな屋敷や大きな都市や大きな話が残ったとしても。

そんなことを考えたのだった。

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2009/04/19

見沼たんぼ。宇都宮線、東側。

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Minuma_tanbo002これまで掲載した、たんぼはない緑地「見沼たんぼ」の画像は、宇都宮線の西北方面の上流域だ。きのう天気がよかったので、反対の南東側を撮影しに行った。

東大宮駅から、宇都宮線の東側線路沿いの道を、一つ大宮寄りの土呂へ向かってデレデレ歩く。10分少々ぐらいで、見沼たんぼに出る。東南方面の下流域は、この先へ行くほど、さらに広がるはずだ。こんどは、そのうち、そちらの下流域へ向かって歩くとしよう。

そのまま土呂駅へ出ようかとおもったが、浅草橋18時待ち合わせの電車の時間が気になった。またデレデレ歩いて東大宮駅へもどった。このあたりを歩き回ったのち、モツ焼きで一杯というイメージが、かなり固まってきた。うむっ。

みなさん、連休なんぞは、遠出することもないし、都内の人ごみへ向かうこともない。観光地でも名所でもない、とくに高尚そうな歴史や文化や自然も感じさせない、このあたりをデレデレ散歩し、ちょっとばかり農と食に思いをはせてみたり、「名店」とはいわれないが、手ごろなモツ焼き酒場で一杯やる。どーです。こういうところでの発見や想像こそ、「有名」やら「権威」やら「芸術」やら「情報」やらなどにふりまわされない、実になるものだと思います。

下のカテゴリー「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」をクリックすれば、これまでの掲載分が見られます。

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2009/02/20

都鄙臨界徘徊。遠くの農業もいいが近くを見よう考えよう。

ってことで、とりあえず画像だけ。見沼区東大宮駅南側、見沼たんぼ緑地と東北本線が交差するあたりの「農的生活景」あるいは「生活的農景」に関する考察。考察は勝手にどうぞ。

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近くだし、行ってみたい、「見沼・風の学校」…クリック地獄


関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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2008/11/18

見沼たんぼ。

東大宮でも、俺が引っ越してきたあたりは、「見沼たんぼ」と呼ばれる緑地の北限地域になる。

「見沼たんぼは、東京都心から20~30km圏内にあるにもかかわらず約1260haという広大な面積を持つ、首都近郊における貴重な大規模緑地空間です」と詳しい案内がある「見沼たんぼのホームページ」は、こちら…クリック地獄

Higasioomiya008a見沼区の区名になっている「見沼」の自然は、江戸時代からの田んぼ開発で「田んぼ」と化した。人の手が開発したものは、人が不用になれば捨てられる。関東平野内陸の大農業地だった埼玉が「ダサイタマ」と揶揄されるようになったのは、「農業の危機」だか「農村の危機」だかと「地方の時代」がいわれだした80年ごろだったか?それともバブル直前だったか。

「農業」も「農村」も「地方」も、東京のすぐそばにあって、だけど東京=中央の意識からは遠い。東京=中央の意識から遠いものは、スベカラク、廃れる。コレ、日本の法則。

なんでも「保存」という言葉がつかわれるようになったら、片方に強大な力による破壊がある。この「緑地」も、そうだ。イチオウ、公共事業だけが、その保護者として破壊者にもなれる特権を持つらしいのだが、いったい、強大な力を持った破壊者は誰か。政治家?役人?経済界? それとも「ダサイタマ」と軽蔑する人たち? 

この景色は荒廃へ向かっているのか、それとも「再生」へ向かっているのか。だけど「再生」という言葉にはマヤカシがある。つまり、ムカシハヨカッタ、というまやかしが。ああ、人間社会の、この荒っぽさが、たまらん。

てなことを考える、お散歩のひとときなのですね。
こういう手垢で汚れた感じの「自然」の景色は、どことなくニヒルでアナーキーで惹かれる。

上の画像の川は、見沼たんぼを貫く「芝川」。なかば用水路と化した川で、自然な姿からは遠い。下流域には、数年前に武蔵野線東浦和駅から歩いて行ったことがあるが、まだ「見沼たんぼ」と呼ぶにふさわしい田畑の景観がある。

隣接するJR東大宮操車場は、鉄チャンの出没するところらしい。鉄チャンじゃなくても、見ていてけっこうあきない。この画像は、その操車場に架かる陸橋から撮影した南側の風景。右端、西の方角には、スッキリ晴れたときは、富士山が見える。

富士山は、東大宮駅からウチに来る途中の坂道からも見える。ウチは貧乏だから坂下にある。坂を下る正面に富士山が見える。夕日が沈んだあとの赤く焼ける空に、黒い影絵のような富士山を、見とれながら歩いていたら、ウチのほうへ曲がるのを忘れてしまったこともある。

Hiasioomiya003この画像は、陸橋の北側。無秩序な畑。近くに団地や比較的新しい住宅街があるから、そこの人たちが「家庭菜園」でもやっているのだろうか。

東大宮のへんは、どんどん新しい住宅が建って、公園には子供たちの遊ぶ姿があり、「なんとなくクリスタル」以前の1970年代的「活気」を感じる。70年代の活気は、どんどん「緑地」を破壊しながら生まれたといえる。人は、そのときどき必要なものを選んで生き延びる。のだろうか。だとしたら、いまは、なにを選びたいのか。

そうそう、忘れないうちに、2008/11/14「さいたま市見沼区宇都宮線東大宮を知っているか。知らん。」に掲載した「もつ焼きセンター」ではメダカを売っている。

このあたりのことは、ときどき掲載するだろうから、↓カテゴリーに「見沼区・宇都宮線・東大宮」を設けた。地元愛。

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