2021/01/28

1993年頃考えていたこと書いたこと。

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いろいろ整理していたら、こんなのが出てきた。

まだライター稼業の前、ライターになる気もない頃のことだ。

ひとつは、復刊一号・一九九三年三月号とある『イマジン』。「編集発行・遠藤哲夫(住所不定風来坊橋下人間)」とある。

もうひとつは、『大衆食研究』一九九三年十一月号、「大衆食研究会 制作発行責任=遠藤哲夫」。

『イマジン』は「「女の台所からの解放」「女の社会進出」への疑惑」のタイトルで、「浮かばれない女と料理」「「女性解放」は考え直そう」「家庭料理からの出発――そしてカレーライスのすすめ」の小見出し。

以前本にも書いたと思うが、おれが江原恵さんと生活料理研究所をやっていたころ、江原さんの『カレーライスの話』が三一書房から発刊された。その内容を改訂したい、ついては江原さん監修でおれが執筆でお願いできないかという話が担当の編集さんからあり、少しずつ進んでいた。

その最中に、これも以前本に書いたと思うが、打ち合わせ中のふとした話から、先に大衆食堂の本をつくることになった。

それが、ちょうどこの3月から11月の頃だと思われる。

「大衆食」という言葉をおれが公(といっても狭い範囲だが)に使ったのは、これが初めてかもしれない。

どのみち、中身は、自分が考えていることを、当時ふらふら持ち歩いていたワープロ専用機で文章をつくり、コピーし折って綴じて、知人たちに送っていた。「風来坊」なんてかっこうつけているが、転々とした生活の中の生存連絡といったものだった。

とにかく、『イマジン』から「浮かばれない女と料理」「「女性解放」は考え直そう」を、まんまここに転載しておこう。

あの頃は、ちょうど50歳、こんなこと「も」考え、こんな文章「も」書いていた。

 

■「女の台所からの解放」「女の社会進出」への疑惑■■■

●浮かばれない女と料理

 ほんとうはカレーライスの穿竪をしていたはずだった。ところがカレーライスをつついているうちに、その奥に「女」がちらつきはじめた。気づいてみれば、なーんだ、ということなのだ。カレーライスは日本の家庭料理だし、家庭料理というのは女がつくっていたのである。
 そこで「女性史」に関する何冊かをのぞいてみた。そこに料理があるのではないかと思ったからだ。しかし「ふつうの歴史」とあまりかわらないのである。極端な言い方をすれば、主人公が女になっただけである。これまでの男たちが政治だ経済だ世界だ国家だと騒ぎまくる事大主義はそのままらしい。これは女を軽んじてきた男の歴史の方法そのままではないか。
「食事のしたくは女がするもの」という通念があるほど、女性は日本料理の歴史を担ってきた。女性史では、料理が大きな比重を占めているだろう。ふつうの歴史とちがってそうであるはずだ。こう思っていた私は、肩すかしをくらった。
 社会と生活の現場にいた人々、大部分の女たちの歴史は、女の歴史のなかでも浮かばれないままなのだ。これはかなり奇妙だし、おかしいことではないか、という考えにとらわれてしまった。
 問題は女だ。女たちはこんなことで満足しているのだろうか。女は進歩したのだろうか。女たちは、家でカレーライスをつくることから解放され、男の世界だった料理屋や鮨屋に出入りできるようになって、それが進歩だと信じているのだろうか。カレーライスから始まってたどりついた疑問がこういうことだった。もちろん、これは女と背中合わせの男の問題でもある。
 カレーライスは、ここがこの料理のおもしろさのひとつだが、本当に「こった煮」だ。女の歴史まで煮込む。しかもそこには男が離れがたく一緒である。これは、刺身や鮨にはみられないことだ。刺身や鮨はこのようにカレーライスと比較されることを不愉快に思うだろう。刺身や鮨は生活臭さのない男の世界なのだ。女がしゃしゃりでてきても、しょせん男の真似事にすぎない。刺身や鮨に「おふくろの味」なんていうのは成り立たない。ところがカレーライスには「おふくろの味」が成り立つ。「おふくろの味」を懐かしがるのは、だいたい男たちだが。こうして、カレーライスには女の歴史も男の歴史も一緒に煮込まれる。そこに家庭や生活の歴史がある。――池波正太郎『食卓の情景」の「カレーライス」などにはそういう情景がよくあらわれていた。

●「女性解放」は考え直そう

 そういうわけで、カレーライスがどうしても女になってしまう。「女」に関する疑問は濃くなるばかりだった。そしてある日、一九四七年(昭和二二年)四月七日の朝日新聞の天声人語を見たとき、「女の解放」をめぐる胡散臭さ、疑惑は決定的なものになった。
 その天声人語。
「家庭の主婦ほどみじめな存在はない。(略)頭は年がら年じゅう食べ物と燃料のことをはなれない。(略)台所電化でボタン一つおせば三十分ぐらいで食事の支度ができ、主婦も教養や娯楽や身だしなみに時間の余裕をもつ。そういう時代はいつくるのか。(略)家庭生活の民主化は、台所地獄からの女の解放である。」
 これは、たぶん男が書いたものだろう。
 人権というものはまったく念頭にない。生活や食事に対する見識もうかがえない。台所電化のボタンに「家庭の民主化」や「台所地獄からの女の解放」をまかせる思想はそのまま今日である。苦しそう、みじめ、無教養だからダメダ、遅れている、可愛そうという烙印の押し方、その片方にある傲慢な教養主義、これらは今日にいたるまでマスコミ知識人の得意技だ。感傷と観念のセンセーショナリズム。そして「そういう時代はいつくるのか」といった傍観嘆息。自らの見識というのがない。
 こういうマスコミの歴史の下で生きなくてはならない日本人ほど「みじめな存在はない」。そうだろう、この天声人語のわずか三年ほど前には、大新聞は、尊王攘夷の大東亜戦争を戦っているのだからフォークやナイフを使うのは止めようと言っていたのだ。
 ともかく、戦後の女性解放、女の自立、そして最近の「女の時代」というのは、こういう指向と思想の積み重ねのうえにあるのではないかという疑念をもつべきだ。
 家庭料理をどうするかなんていう議論はないまま、女を台所から解放すべきだということになってしまった。
 そして一方では、「主婦は家庭の中心」という掛け声でキチッンやダイニングキッチンが豪華になってゆく。ゆとりを持たされた女たちは、「心のこもった料理」がいちばん美味しいのだと、カルチャーセンターや食べ歩き先の料理屋で語り合ったり、テレビの料理番組の決まり文句にうなずいている。女の解放などは電化製品にまかせておけばいいと思っていた男は、居酒屋あたりの「おふくろの味」で家庭の感傷にひたる。そして手のかからないイイ子供たちは、レトルトカレーをよろこんで食べる。だれも家庭の文化をふりかえらない。そういう「女の時代」が、すぐ最近あった。
 女は社会に進出したのではなく、男の会社社会に進出しただけなのである。
 かって女がなりふりかまわず守らなくてはならなかったもの、あるいは女が守っていてくれたものは、何なのか。どう評価すべきか。そこから問い直す必要がありそうだ。

 

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2021/01/02

元旦のレターパック。

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昨日、元旦の郵便は年賀状だけと思っていたが、レターパックが届いた。

差出人は伊那の田口史人さんだ。

高円寺・円盤の店主田口さんは伊那に移住し、よくわからないが、円盤&黒猫&リクロ舎の田口史人になった。

という理解でよいのだろうか。

神出鬼没八面六臂の活躍で、おれの理解をこえている。

レターパックを開けると、その活躍ぶりが、ドサッと出てきた。

新年早々、お宝の山。

30人の執筆と作品による「季刊 黒猫」2020年秋号。

ディスク4枚は、入船亭扇里の落語だ。

田口さんの、私小説らしい、『父とゆうちゃん』。

レコード語りシリーズ『青春を売った男達 小椋佳と井上陽水の七〇年代』。

そして、田口さんの初の「食」エッセイ『あんころごはん』。

『あんころごはん』の「ゲスト執筆」に、安田謙一さん、上野茂都さん、おれの名前が並んでいる。

そうそう、だいぶ前に書いた原稿だ。

「厨房が汚い食堂は料理がまずい、か?」

忘れていた。できあがったのだ。

それにしても、田口さん、あいかわらず、すごい馬力だ。

読み応え味わい、タップリつまった、「福袋」。

手紙を読むと、楽しみなことが書いてあった。

うれしい。

いい年明けをよぶパック。ありがとうございました。

伊那も行ってみたいなあ。


『あんころごはん』
黒猫・円盤店主によるはじめての「食」をテーマにした書籍
「味覚は記憶の上に築かれる。私の「美味い!」は、ここにある記憶たちによって作られた。誰にでもある食べ物の記憶たちが走馬灯のように紡がれる」
37本の食話に加えて、ゲスト執筆にて安田謙一、上野茂都、遠藤哲夫のお三方にもエッセイを寄稿していただきました。
装丁:宮一紀
挿絵:三村京子

こちらからお買い求めいただけます。
http://enban.cart.fc2.com/ca29/4406/p-r-s/

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2020/10/20

25年前の「いかがわしい無名文化の探求」。

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薬が効いて症状が安定しているうちにと、「身辺整理」をやっている。といっても、自分の作業場を物理的に片づけているだけなのだが。

すっかり忘れていたものが、いろいろ出てくる。

25年前、出版ニュース社発行の旬刊誌『出版ニュース』10月上旬号に載ったものだ。1995年7月の『大衆食堂の研究』刊行のあと、すぐのタイミングで原稿依頼があったにちがいない。

「書きたいテーマ・出したい本」のコーナーで、著者から出版社への売り込みのページ、ということだった記憶がある。だけど、出版したいという版元はあらわれなかった。ま、そうだろうね。

だいたい、ライターになるつもりはなく、また本を出そうという気はなかった。当時、出版ニュースの編集の方には、『大衆食堂の研究』を気に入っていただき、何度か会い酒も飲み、もっと書くようすすめられたのだけれど、自分のことのようには思えず、おどろいたりとまどったりだった。

とにかく、「いかがわしい無名文化の探求」と題した一文、そっくりここに転載しよう。

『大衆食堂の研究』もそうだけど、猪瀬浩平さんの『分解者たち』の帯文にある「「とるに足らない」とされたものたちの思想に向けて」という言葉を借りれば、「「いかがわしい」とされたものたちの思想に向けて」とでもいえるだろうか。

街から「いかがわしい」とされたものたちがどんどん排除される流れは依然として続いているし、文化の中心部では、強くなっているようだ。ときには、「昭和」な希少価値として美化され、情緒マーケティングのネタにされながら。

一年間の新刊目録でもある『出版年鑑』を発行し続ける偉業を残して、出版ニュース社は、昨年4月30日で事業を停止した。


いかがわしい無名文化の探究

「あっぱれサバのみそ煮」という感じを、やりたい。たとえば、渡辺淳一は小説『化身』で「サバのみそ煮」をくいにいきたがる女主人公里美を登場させる。それが「サバのみそ煮」でなければならない理由を考えてみよう。ナンテはじまるのだ。「サバのみそ煮」に独特の感情をもち共通のイメージを描く日本人がいる。「サバのみそ煮」の「味わい」はなんなのか、「サバのみそ煮」からみえてくる情景をわたりあるきながら考える。もちろんいろいろな「サバのみそ煮」が登場する。生活の数だけ「サバのみそ煮」がある。「サバのみそ煮」がいまだに人気メニューの大衆食堂にはいってみれば、食堂のオパサンの手によるそれぞれの味つけがある。焼き魚も刺身もショセン焼くだけ切るだけだから、そこには、じつは、家庭の味もなければ日本の味もない、といいたくなる「深さ」「あたたかさ」が「サバのみそ煮」にはある。それは「生存の文化」ともいえるものなのだ。これを棄てたままモノゴトを考えるなんてイケナイことだ。そもそもこの活力はなんだ、と、おれは「サバのみそ煮」をコツコツくうのだった。
 この「あっぱれサバのみそ煮」の発想は、既刊の『大衆食堂の研究』(三一書房)と親戚関係といえる。つまり「いかがわしい無名文化の探究」なのである。一昔前まで「民衆文化」とか「大衆文化」などといわれていたなかには無視され棄てられいかがわしい存在になりながら、けっこうエネルギッシュに生きているものがある。そこには生存にかかわる大切な「何か」が凝縮されて残っているような気がする。その熱源のそのままを、郷愁の「激情駄文乱れ打ち」にのせて、発散させたい。「生存の力」「生業の戦略」「田舎者の根性」という視点を掘リ下げながら。そういう発想のひとつなのです。「サバのみそ煮じゃ本にならないよ」といった食文化だか料理だかの専門家がいたが、舌と手技とこころの「ウンチク見世物料理」の手にはおえない食べ物だ。わかってね。

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2020/04/11

「塩と食のお話」で「塩にぎり」。

「塩と暮らしを結ぶ運動公式サイト」の「塩と食のお話」のコーナーに寄稿した。
タイトルは「塩にぎり」。
https://www.shiotokurashi.com/shioaji/essay/71115

原稿の依頼があったのは、3月23日で、締め切りは31日だった。

23日頃には、患部が痛くてたまらず医者へ行こうと思っていた。でも1000字ぐらいなら書けるだろうと引き受けた。ちょうど「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることがあり、書きたいことがあった。

すでに書いたように27日には、大宮の町医者へ行き、30日の朝、その町医者から急いで精密検査を受けたほうがよいから総合病院を紹介するという電話があり、午後に紹介状をもらいに行き、帰ってからこの原稿を仕上げて送った。

「ざっくり「塩にまつわる話」」を書いてほしいという依頼だったので、それならこれにつきるね、というものを選んだ。

「塩分」をめぐって近頃アレコレ気になることには直接ふれてないが、とにかく「塩分」を「悪役」にした話しが大手をふっている状況は、あまりいい状態とはいえない。それは、だいたい栄養学や生理学からの一方的な見解によるもので、「塩分」にかぎらず、よくあることなのだが、文化論や生活論への配慮の一片もない。ってえわけで、文化や生活の視点から書いた。

たいがいのことがそうだが、「過剰」はよくないに決まっている。だけど、「丁度よい」とか「適切」つまり「いい塩梅」「いい加減」というのは、一律の基準で仕訳けられものだろうか。

東電原発事故以来、放射能問題をめぐって「エビデンス」という言葉がはやり病のように広がったが、「エビデンス」だけでは分断が深まるばかりで、解決にならないし、とても不機嫌な状態を生み出すという「実態」が残った。

それと似たようなことが、「塩分」をめぐってもあるように感じていた。

いままた新型肺炎コロナウイルスをめぐっても、似たような状況が生まれている。

あまり話を広げてしまうと混乱しちゃうから、「塩分」のことに絞れば、「塩分」が簡単に「悪役」になってしまうのは、いわゆる「食文化」の脆弱が関係するだろう。飲食の話は、にぎやかな割には、深そうでいて浅く、文化や生活の実になっていないということが少なくない。

ここ30年ほど盛んだった「いいもの」「うまいもの」を追いかけるのが「食文化」であるかのような浮ついた動向が、一方的な「エビデンス」の横暴を許しているという見方もできる。

もっと生活の実態に根差した文化から考えたい。という思いを込めて書いたのが本稿なのだ。

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2019/09/17

発売中『dancyu』10月号で、辰巳のアジフライ。

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去る6日に発売になった『dancyu』10月号は「揚げもの」特集で、おれは茅場町の老舗割烹「辰巳」の、昼のアジフライ定食を取材して書いている。

このブログを見ている人は記憶があるかもしれないが、おれはかつて、「アジフライは正三角形に近いほど旨い」という冗談仮説を検証すべく、「アジフライ無限的研究」と称するアソビをやっていた。

今回の『dancyu』からの依頼は、そういうことにまったく関係なく、締め切り切羽詰まってからのもので、お盆休みの最中でいつもの一軍クラスのライターさんの都合がつかなかったから大部屋ライターのおれがピンチヒッターに立った、という感じであった。

そもそもおれが「大衆食堂」とはクラスが違う「割烹」の取材だなんて、「邪道だろ」ということがあるかもしれないが、そういうことなら、白身魚に価値を置く割烹が、大衆魚の青魚のアジを、しかもフライで出すなんて、アリか?ということにもなるだろう。そういうギャップを越境するのは、なかなかおもしろいことだし、実際に、この取材はおもしろかった。

とにかく、かつて「アジフライ無限的研究」と称して、あちこちのアジフライを食べたが、「割烹に足が向いたことはない」と書き出し、次のように続けた。

「昼の定食とはいえ、割烹といえば和食、揚げものは天ぷらだろう。おそるおそる店主に尋ねた。店主は笑い、「邪道だろ、ですよね」。実際に30年ほど前、お客さんの要望で始めた頃は、そん感じだった。評判がよく今ではアジと帆立のフライだけ夜も出している」

そのアジフライは、やはり割烹なりの考え方でつくられているのだが、それは本誌を読んでもらいたい。

本誌には掲載されてない、店舗の全景の写真をここに載せておこう。中休み中なので、のれんは下がっていない。

昭和24年築の建物を、昭和26年に辰巳の初代が買い、手を入れながら使い続けている。本文の文字数が400字弱しかないので書けなかったが、初代は、明治生まれの女性が素人で始めたのだ。そういうこともあってだろう、いまの三代目は外で6年ほど修業したとはいえ「和食=日本料理」の伝統や格式、そのハッタリにしばられている感じがない。

素人から始まった都内の有名割烹は、開高健や池波正太郎などグルメな文士が褒め上げていた店などがあるように、有名料亭で修業したかどうかで料理が決まるわけではない。それはまあ、どの雑誌に書いているかでその書き手の文章が決まるわけではないのと同じなのだ。ただ、選択に自信のない人たちが、「有名かどうか」を気にするだけだし、そういう人はけっこういるし、そういう人を相手に仕事をしている人たちもいる。

辰巳は、そういうのとはチョイと違う割烹なのだが、それは「兜町」という立地が無関係ではない。辰巳の住所は茅場町だが、道路一本へだてて兜町だし、周囲のビルには証券会社の看板が並ぶ。

この地域は、おれも70年代には最低月イチは飲んでいたが、「株屋さんが多い」ことで、かなり特殊な地域なのだ。

「舌が肥えている人が多い」とか「口がおごっている人が多い」とかいわれることもあったが、それより、今回の取材でわかったことは、飲食に対する金の使い方が違うってことになるようだ。

「うなぎ」と「天ぷら」と「やきとり」がないと飲食商売は成り立たない地域。うなぎは「のぼる」、天ぷらは「あげる」、とりは「とぶ」…株にからんだゲンかつぎだ。金融という現代的なビジネスだが、根っこは賭博だから、どんなに計算しつくしても、食べ物にまでゲンかつぎがおよぶ。

客が金を使ってくれれば、店もそれなりにいいものを仕入れられる。老舗の割烹ともなれば市場の仲買いとの付き合いも長く、同じ仕入れ金でもいいものが手に入る。

それやこれやひっくるめて、この地域の食文化が成り立っている。ってことになるか。

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夜のおまかせセット4200円の献立は、「お通し」「造り」「煮もの」「天ぷら」「酢のもの」とある。これが、いわゆる「和食=日本料理」の標準献立ってことになるだろう。

もちろんアラカルトもあって、ポテトサラダもあるし、居酒屋使いもできる。大衆食堂で飲むようなわけにはいかないが、株屋さんたちに囲まれて、割烹料理を食べて飲んでみるのもいいかもね。

こういう飲食店は、「中クラス」ということになり、なかなか商売が難しいのだけど、食文化とくに料理文化の、けっこう大事なところを担っている。店主はたいがい料理長であり、裁量権の幅が、割と自由になるからだ。本人しだいで、料理法やメニューの工夫の可能性がある。

大衆食堂の場合、自由であっても、経済的に幅が限定されざるを得ない。格式ある料亭になると、格式や序列などにしばられて自由が制限される。

最後の写真は、入り口に何気なく飾られた祭り提灯。店内の壁には、押絵羽子板。店主は、地元っ子だ。

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2019/07/02

『現代思想』7月号に「おれの「食の考現学」」を書いた。

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去る6月28日発売の『現代思想』7月号は、「考現学とはなにか」という特集だ。

『現代思想』なんて、学者や研究者が、なんだか小難しそうなことを書いているぐらいのイメージしかなく、10年に1冊ぐらいしか買ったことも読んだこともない雑誌だった。

そういう雑誌の編集さんから、突然メールで原稿の依頼があったのは、4月の中頃だった。考現学特集をやるから、「食の考現学」ということで書いてもらえないかということだった。

え~、おれ、考現学なんか関係ないよ、だいたい「学」なんか縁がないし~と思ったが、編集さんは、おれの仕事を一ファンとして読んでいるというし(社交辞令だったかもしれないが)、大衆食を食べ歩き、採集し、歴史とも関連させていく試みは考現学を思想としてとらえていく方向性ともリンクしているかと考えているとかおっしゃるし、必ずしも今和次郎に言及する必要もなく「遠藤さま流の考現学的なるものを」というし、締め切りまでは一か月以上あるし、じゃあやってみるかという気になってしまった。

最初は、よーし、どうせやるなら「食の考現学」を真正面から論考してみようじゃないかと書きだしたが、たちまち自分の知識の無さに死にそうになり降参、エッセイに切り替え、おれ流の「おれの「食の考現学」」にしたら、割とスラスラ書けた。

これで考現学とリンクしているのかどうか判断がつかないほど、考現学については知識もなく、編集さんに原稿を送ったら、よろこんでもらえた。

まるで暗闇で鼻をつままれた感じだったが、掲載誌をいただいて見たら、諸先生方にまじって、それなりにうまいこと収まっているし、諸先生方が書いたものがすごくおもしろい。そうか、考現学とは、いま、こういうものかと、ガゼン興味がわいたのだった。

何度かこのブログでもふれてきたが、「食」をめっぐては、その言説も含め、ここ十年間ぐらい大きな変化の中にあると感じている。自分の仕事をふりかえりながら、自分の仕事と「食」の「いま」を考える、いい機会になった。

おれの文章は、「はじまり」「「食」と「考現学」の出あい」「料理は生活だ」「大衆食堂のメニューを集める、考える」「主張する個と生活」になっている。

実際のところ、とくにSNSの普及で、「主張する個と生活」は、すごいおもしろいことになっているが、いつものことで計画的に割り振って書いていないから、最後に簡単にまとめ的に書いただけになってしまった。さらに最後は、アジテーションみたいになっている。

とりあえず、そういうことです。

この特集のサブタイトルは、「今和次郎から路上観察学、そして<暮らし>の時代へ」になっている。そう、<暮らし>をめぐって、これからもっといろいろあると思う。目が離せない。

詳しい目次は、こちら青土社のサイトで。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3308

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2018/08/31

スペクテイター42号「新しい食堂」。

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スペクテイター42号「新しい食堂」が発行になった。早いところでは、今日から書店に並んでいる模様。

自分の本ができたときでも、たいしてコーフンしなかったおれが、この本を手にして、すごくコーフンした。身体がふるえた、といいたいところだが、気分だけ、身体がふるえた。

こういう食堂の本が欲しかったし、こういう本が欲しかった。

おれは、「結局、食堂って何?」という論考のようなものを寄稿している。

それと、当ブログの2006年6月28日のエントリー「ありがとね」が、物干竿之介さんの構成と画によって、「食堂幸福論2 ありがとね」になっている。こんな、一昔以上前に書いて忘れていたエントリーを見つけたのは、編集の赤田祐一さんで、ほんと、このことだけじゃない、赤田さんの仕事っぷりはすごいものがある。

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その赤田祐一さんと打ち合わせで会ったのは、5月24日だった。スペクテイター40号の「カレーカルチャー」の打ち合わせで会って以来だった。一年ぶりぐらいだろう。またもや大宮まで来てもらった。

3、4時間ぐらい話したかな。ああでもない、こうでもない、ああだろう、こうだろう。まだ企画は固まりきっていなくて、最初は「日常」「日常食」という言葉がとびかっていた。それから、近ごろの食をめぐる、さまざまな動向に見られる「変化」のことなど。

「日常食の冒険」という感じから「食堂幸福論」みたいなものになり、メールのやりとりもあって、おれは「食堂考現学」のようなものを書くことになった。

そのときすでに登場する食堂は決まっていた。できあがったものを読んでみて、じつに食をめぐるイマを象徴するような食堂ばかりだと、再認識した。

しかし、おれが原稿を書いているときは、食堂の取材がどんな内容になるか、まったく見当がつかない。おれの原稿内容が、あまりにズレているとマズいなあと、最初は心配し、すぐに忘れ、とにかく28枚書いた。

ほんとうは、70年代ぐらいまでを書き込みすぎて、80年代からの動向は概括的になってしまった。結果的に、その方がよかったようだ。登場する食堂の方の話のほうが、80年代以後のイマを生きる話として、素晴らしいからだ。

いわゆるグルメな食堂めぐりとは違う。徹底取材というのは、こういうことだろう、時間をかけ、いろいろな角度から突っ込んだ取材が行われている。

「食堂は人なり」の大扉。「ウナカメ」の丸山伊太朗さん、「按田餃子」の鈴木陽介さんと按田優子さん、「マリデリ」の前田まり子さん、「なぎ食堂」の小田晶房さん、なんて魅力的な人たちなんだろう。

「ヴィーガンカフェバー Loca★Kichen」のいとうやすよさんは、「食堂開業心得帖」を自分で書いている。イラスト入りで、DYI熱が伝わる。なかなかおもしろい。

編集部の青野利光さんは、巻頭言にあたる文章に、こう書いている。

「皆さんの話を聞いて感じたのは、食事をする側とそれを提供する側の食に対する意識が、今まさに変容のときを迎えているのではないかということでした」

「あるときは美味しい料理に舌づつみを打ち、あるときは店主の言葉に耳を傾けながら、本誌が見出した新しい社会のカタチとは?
たくさんの言葉のなかに、みなさんの未来を見つけていただけたら幸いです。」

食に対する意識の変容のイマ。そこが、この本の焦点だ。

編集部の赤田祐一さんによる特集リード文のタイトルは、「"割り切れなさ"の魅力」だ。

「その「割り切れなさ」こそ、愛される店の本質であり、じつは食堂の存在理由ではないのだろうか」

「"新しい食堂"とは「新しい意識で運営されている個性豊かな飲食店」のことで、ここではそれぞれの店に親しみを込めて"食堂"と呼ばせていただきます」

「ここにとりあげたような意識の食堂が少しずつ増えていき、それがスタンダードになれば、世の中も少しずつ、不寛容なものから寛容なものへと変わっていくのではないでしょうか」

この「新しい」は、トレンドとは関係ない。「古い」を否定しているわけではない。

もちろん、食材や料理や味覚などに関する、それぞれの店主の考え方も、たっぷり聞いている。どなたも料理は「独学」だから、いわゆる「料理人」や「料理職人」たちの話とは違う。こういう話が聞きたかった。

とにかく、これからの料理、これからの食事、これからの生活、これからの生き方、これからのショーバイ、これからの仕事、これからの社会など、消費ではなく、創造を追求したい人たちには必読ですね。

ビジュアルも含め、本のつくりとしても、気取らず親しみやすく、新しい食堂の感じで、いい。

アートディレクション=峯崎ノリテルさん、デザイン=正能幸介さん。撮影=安彦幸枝さん。

そうそう、おれの文章「結局、食堂って何?」の扉には、久しぶりに東陽片岡さんのイラストがドカーンなんだけど、そのイラストの男が、頭髪がたっぷりあった頃のおれのようなのだ。

この本のことについては、明日も明後日もその次の日も、書くかもしれない。

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2018/07/06

鰯(いわし)の立場。

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一か月前の6月6日に発売の『dancyu』7月号は「本気の昼めし」という特集で、おれは都内の動坂食堂を取材して書いた。

『dancyu』は、いわゆる「グルメ」な雑誌であり、ということは、とにかくモノの味覚が中心であり、それによった話が中心になっている。だけどおれのばあい、あまりモノの味覚を中心にした話は書いてこなかった。それは、テーマにもよるが、「食堂」が対象になることが多かったためでもあるのだな。

この号の動坂食堂ではちがった。「イワシの天ぷら」を全面に押し出し、おれにしてはモノと味覚によったことを書いている。

それは、鰯の立場が、その字のように、あまりにも弱いからであり、冷遇されていることが多いとおもっていたからだ。

書き出しから、「イワシの天ぷらが好きだ」とやった。ほんとうに好きなのだ。好きなんだが、大衆食堂でも、食べられるところは少ない。大衆酒場や居酒屋というところへ行くと、まだある感じだが、でもこれほど安い大衆魚なんだから、もっとあってよいはずだとおもうほど、メニューにあるところは少ない。

イワシの刺身は、天ぷらに比べるとあるようだ。おれがたまにいく回転寿しには、イワシは必ずある。おれは、真っ先にイワシとアジをにぎってもらう。

動坂食堂の「イワシの天ぷら定食」について、書き出しからもっと引用しちゃおう。

 イワシの天ぷらが好きだ。特に定食となると、淡白な米の飯とは対照的な味わいの、イワシ天の個性がものをいう。だけど、その個性は実に微妙で、鮮度に左右されやすい。つくるのも食べるのも、イワシの脂の劣化との競争なのだ。
 動坂食堂のイワシ天は素晴らしい。腹の辺に大葉がからみ、骨はとってあるのだが、活きのよい仕事ぶりをしめすかのように、スックと立ちそうなほど、まっすぐカラッと揚がっている。油の鮮度もよく、いつ食べてもうまい。
 とにかく熱々のうちに食べる。冷めて味が落ちないうちに食べたい。心がはやり、テーブルにおかれると同時に、最初の一尾を、つゆを使わずに大葉が付いている側から頬張る。サクサクサク、大葉の爽快感とイワシの旨味が口中に広がる。はあ~これだよなあ~、と一息ついて、残りの2尾はつゆをちょっとつけ、ごはんと交互に口に運ぶ。味噌汁も丁度よいあんばいだ。

というぐあいだ。これで全原稿量の半分ぐらいを使っているのだから、おれとしては異例だ。

本当は、「腹の辺に大葉がからみ」という揚げ方に、とくに特徴があるのだが、字数の関係でふれられなかったから、ここに書いておこう。。

イワシの天ぷらに大葉は付き物といってよいぐらいだが、たいがい、イワシの身に巻くか、衣に巻いて揚げる。ところが、動坂食堂のものは、たぶん、イワシと大葉を別々に揚げ鍋に入れ、鍋の中でからめるのだろう、イワシと大葉は衣で接続しているだけなのだ。だから、大葉の側から食べると、大葉が香りがサクサクッと口中に広がる。イワシもサクサクだ。

イワシの立場は弱い。肥しや養殖魚のエサだったのであり、だいたい「雑魚」「下魚」といわれる青魚の中でも、サンマのように話題になることもなく、最も弱い立場にあった。

そこには、安物をバカにしたり、安物を食べたり身につけたりする人をバカにする、根強い文化もからんでいる。「高級」がエラそうにしているのだ。

そして、これが旨さのもとでもあり、大きな弱点でもある、皮下脂肪の劣化が早いのだ。そして、その脂は、なんという物質だかすぐ思い出せないが、もともと若干の臭みと雑味というかエグみを含んでいて、それが「下品」と嫌われたりしていた。そして、脂の劣化で、その臭みやエグみが、どんどん増すのだ。

それから、とうぜん、イワシを揚げると、その脂が天ぷら油に溶けだして、油まで臭くなる。

ま、そういうこともあって、扱いにくいクセのあるやつなのだなあ。

だけど、そこが可愛いのよ。

おれは、若干の臭みやエグみは、けっこう好きだ。下品といわれようが、悪趣味といわれようが、けっこう。そういう偏見こそモンダイだとおもっている。

イワシの個性は、それなりの旨さだ。

が、しかし、自分で料理に使うときは、やはりけっこう気にする。イワシの生姜煮や梅煮にしても、骨を残すわけで、生ゴミにすると、そこから昨今の密閉性の高い家中に、臭いが広がる。やせ我慢で、うーん、イワシは臭いまで旨いねえ、と言っていても限界がある。だから、イワシを食べるのは、ゴミ出しの前の晩にしている。

イワシを叩いて、ダンゴにして味噌汁(ツミレ汁ね)にすれば、あとかたもなく腹におさまるのだが、そのばあいでも、内臓ははずすわけで、これがまたキョーレツな臭いのもとになる。

まだ、この臭いに馴れきるほど、おれはイワシを愛していないのだろうかと、おれは悩む。

谷崎潤一郎というやつは、とんでもないやつだ。イワシの天敵だ。やつは、イワシだけを「下魚」といって下等なものにしたわけじゃなく、東京の人間が食べるものを「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物」としたのであり、そこにイワシやサンマも含まれる。

かれは東京生まれ育ちで、関東大震災のあと、関西へ移住し、芦屋あたりに住んだ。

ま、別に東京の食べ物を擁護したいとは思わないが、食べ物について偏見を持った人間というのは、みっともないとおもう。それが仮に「美学」だとしたら、クソクラエだ。

今日は、これぐらいにしておこう。

そうそう、滝田ゆうの『寺島町奇譚』には、一家がツミレ汁を作って食べる場面があるけど、とても旨そうでシアワセそうで平和な、いい景色で、好きだねえ。その暮らしが戦争で焼け野原になる。庶民の暮らしや食べ物を見下す文化と差別や戦争は無関係ではない。

そうそう、それで、『dancyu』の動坂食堂のページだが、おれが原稿を書く段階でのレイアウトでは、イワシの天ぷら定食の写真が右上で、右下は客がたくさんいる店内の写真だった。

出来上がったのを見たら、店内の写真は特集の大扉に使われ、その写真があったところにはミックスフライの写真がおさまっているのだった。こういうのは、ショーガネエことだし、ドーセ文章より写真が大事だからねとおもってはいても、原稿書くときは、写真とのバランスを考えながら書いて、それでコンプリートされるイメージで書いているから、ギャーなんだこれ、ページのクオリティが落ちているじゃないか、と、少しはおもって、スグ忘れた。

そうやって、フリーの仕事も人生も流れて行くのです。それが、たのしいのです。

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2018/05/21

長寿健康自然志向系飲食の扱い方。

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2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂をボチボチ紹介している。

今回は、「こうじ料理・酵素玄米のお店」を謳っている、「つる来」という食堂だ。
http://tsuruki-kouji.com/

大雑把には、マクロビ系オーガニック系ということになるだろうか、とりあえず「長寿健康自然志向系」ということにしておく。

おれは、1980年代の中ごろから、この分野で熱心な人たちと付き合いはじめ、有機栽培系の生産者が活躍していた山奥の産地で暮らしたこともあり、1990年頃は、当時は「マクロビ」という言葉は使われていなかったが、そういう食事を数か月ばかり続けた。正確には、「自然農法」に取り組む家族の家に、なかば「下宿」して仕事をしていたので、そういう食事を頂戴していたのだ。そのあと東京で1年ほど玄米食と続けたことがある。

その後は、以前と同じように、普通の食事をしている。

近年になってからは、このマーケットが注目されるようになり、調査を請け負ったりした。前にもこのブログに書いたことがあるが、この方面に多少の知識はある。だけど、お店を取材をして書くのは初めてだった。

こういう飲食や飲食店をめぐっては、いろいろな話があるし、また実態も様々なので、実態把握も伝え方や表現が難しい。

とりあえず、今回は、一般的な食堂と一緒に載ることでもあるし、つる来のような飲食店こそが「いい飲食店」という印象が増大する方向へ加担することは避けたかった。

というのも、飲食や料理に正統性や優越性を求める結果、「長寿健康自然志向系」は正しく優れていて、それを扱う人たちは研究熱心で志や意識が高く正しく優れているという印象が増すことで、一方では一般的な普通の食事やそれを提供する仕事に関わる人たちが低く評価されたり見下される位置に立たされることがあるからだ。

以前、何かのテレビのそういう番組を見ていた食堂の人と客が「おれたちはどうせ邪道の人間だからね」と自虐的冗談をとばしているのを聞いたこともあるが、似たようなことに何度か遭遇した。

とかく、メディアサイドで仕事をしている人間は、いい気になりやすい。そこから生まれた表現は抑圧的になりやすいし、単なる同調や、ともすると屈折や反発を招きかねない。より正確な認識と理解のさまたげになる。

それからもう一つは、「つる来」が提供する玄米食は「長岡式酵素玄米」というものだが、これを「宗教」と見ている人たちもいるようで、それは「長岡式酵素玄米」そのものについては正確な認識ではないだろうということだ。

だいたい「宗教」だからと否定することそのものがおかしい。「政治的」「思想的」「宗教的」だからと否定する妙な風潮があるのも問題だろうけど、それはともかく。

「長岡式酵素玄米」は炊いた玄米の発酵に特徴があり、つる来は、ようするに、おかずも含め発酵を活用している店なのだ。そこで、「長岡式酵素玄米」について説明したあと、このように書いた。

「「発酵食品」というとカタイ感じだが、納豆、みそ、しょうゆ、かつお節など、昔からなじみ深い。ただ、工場生産によって発酵の仕組みも変わった。そこで、手ずからの発酵料理に関心が集まっているようだ。「自然派健康志向の定食」といってしまうと、これまでは「健康度外視定食」のようだが、そういうことではない。健康や幸福についての考え方が様々になったのだ。お互い認め合い、おいしさたくさんあったほうが楽しい。というのは、筆者の考えなのだが」

おれはもともと、飲食に正統性や優越性は求めていない。また、つる来の店主も、正統性や優越性を主張しているわけではないし、押しつけがましさはない。自分の健康な生き方への関心に従っているだけなのだ。

ところで、飲食店の商売は立地に左右されやすい。

「こういう定食は、都内でもまだめずらしい。それが高円寺にある。つる来は早稲田通りにあって、駅から少し離れているからか、価格の面でやりにくいこともあるようだ。ある意味、「安い高円寺」でのチャレンジともいえるか。遠方、名古屋などからのお客さんもいるそうだし、高円寺の定食の魅力がふくらむ可能性も感じる」

優劣より、事実を全体的な視点で歴史や社会(地域)に位置付ける。それは、ライターの仕事で、肝心なことかな。

当ブログ関連
2018/04/28
「高円寺定食物語」の天平。
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

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2018/04/28

「高円寺定食物語」の天平。

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2018/03/30「座・高円寺の広報紙、フリーマガジン「座・高円寺」19号の特集は「高円寺定食物語」。」に載っている食堂を、ボチボチ紹介していきたい。

ということで、前回は伊久乃食堂を紹介し、日にちがあいてしまったが、今回は天平だ。

1019「戦後の大衆食堂の源流に位置する「民生食堂」の、その当時の看板と建物のまま営業しているのは、おそらく、ここしかないだろう」「天平は、民生食堂がスタートした1951年の開業だ」

現在の建物や看板は開業から5年後ぐらいに建て替えたもの。よほど手入れがよかったのか、もとの材料もよかったのか、木造の窓枠まで当時のまま残っている。腰板が、板ではなくタイル張りというのも貴重だ。しかし、消えることが決まっている。

店主はおれよりふたつ年上の1941(昭和16)年生まれ。1960年から、ここで働いている。一年ちょっと前、妻に先立たれ、ひとりで続けてきた。元気だが、食堂の仕事は大変だから疲れる。

後継者は、いない。そういえば、伊久乃食堂も、後継者はいない。そういう、高齢者がやっている食堂が多くなった。先日ここに紹介した、『dancyu』5月号「美味下町」特集のはやふね食堂も、おれと同年輩の夫妻がやっているが、後継者はいない。あそこも、ここも、指を折ってみると、けっこうある。

小さいころ戦後の生活を体験し、復興期から高度成長期、その後の大衆の食生活や大衆食堂があるまちを記憶している人たちが、まちから消えて行く。

追い打ちをかけるように、天平は前の道路の拡張工事で建物の取り壊しが決まった。

ま、「座・高円寺」をご覧ください。民生食堂と定食の歴史についても、ふれている。

当ブログ関連
2018/04/05
「高円寺定食物語」の伊久乃食堂。

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