ものごとは多面的。
ひさしぶりにネットをウロウロした。ツイッターも昼間からシラフでのぞいた。
その伝手でたどりついたのが、これだ。かなり刺激的な内容。これは、なかなか面白い。
「ジェームス・フェラーロとショッピング モールの美学」のタイトルで、「消費者文化を映し、崩壊するアメリカンドリームのイメージを暴く、電子音楽家との対話」というサブタイトルがついている。文は、 Robert Grunenbergという御方。
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/james-ferraro-and-mall-aesthetics?lang=ja
『欲望と消費』を思い起こさせる。『欲望と消費』のこれから、という感じになるかな。
現代の食文化は、現代の消費文化や資本主義や民主主義と深く関わっている。これからどういうスピードでどう動いていくか。
このあいだから、五十嵐泰正さんの『原発事故と「食」 市場・コミュニケーション・差別』を読んでいる。ゆっくり、よく咀嚼しながら読んでいる。これは、根本的には、日本の「オーガニゼーション」と「コミュニケーション」が抱える問題になると思う。
五十嵐さんの著作は、そこそこ読んでいるけど、あまりにも分析と整理がうまいため、すらすら読めて、簡単に五十嵐さんに同化してしまい、自分は五十嵐さんと同じように「正しい見方」をしているもんね、という感じになってしまうキケンがある。それでは五十嵐さんの労作がむくわれないだろう。そうならないよう、よく咀嚼しなくてはならないのだ。ま、おれの頭のできがよくないこともあるが。
さきほど、ツイッターでエゴサーチなるものをやったら、『大衆めし 激動の戦後史』がヒットした。
先月のツイートだが、ツイッターもあまり見てなかったし、エゴサーチも長いことやってなかった。
この本のことだけではなく、備忘として残しておきたいツイートだったので、ここにまとめておきたい。
ツイートされていたのは、このアカウントの方だ。『食に淫する』は、タイトルだけは知っていたが目にしたことはない。
シャマダマ●
@syamada0504
『食に淫する』の制作に関わっています(モデル・寄稿・アシスタント)。日本文学研究。
http://aoi-monday.hatenablog.com/
この方が、以下のようにツイートしていた。江原恵の『庖丁文化論』にも、おれが好きな作家、津村記久子にもふれている。
とにかく、言及ありがとうございました。
https://twitter.com/syamada0504/status/961238094878998528
シャマダマ●
@syamada0504
2013年に3冊の食に走る力線を浮き彫りにする本が出ている。畑中三応子『ファッションフード、あります。』(3月)、遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』(10月)、速水健朗『フード左翼とフード右翼』(12月)。2008年から連載されたこの仕事で、畑中はファッションとして食べてきた
22:59 - 2018年2月7日
シャマダマ●
@syamada0504
1970年代以降の日本人の姿と、何が人々を動かす情報を作り出していたか、を大きく示した。速水が若い書き手として現状分析とマッピングを行うのに対して遠藤は70年ごろからマーケティング業界に身を置いた経験を踏まえて実感的に、また明確な地に足のついた「大衆」という問題意識を持つ。
23:00 - 2018年2月7日
シャマダマ●
@syamada0504
『ファッションフード』がある意味一番「使える」のだけど、佐藤亜沙美(コズフィッシュ、ADに祖父江慎)のデザインも素敵な本としての魅力も兼ね備えている。3月に文庫化されるが、どうなるのだろう……。ちくま文庫から。解説は平松洋子。
23:02 - 2018年2月7日
シャマダマ●
@syamada0504
「帝国のない未来を、もっと想像してみることにしよう」と呼びかける遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』は、何も思想的な闘争に誘っているわけではない。あくまでも「野菜炒めをつくり食べながら」。思想に先導/扇動されて食卓を明け渡し、自らの身体を植民地化する食べ方を批判する。
1:50 - 2018年2月11日
シャマダマ●
@syamada0504
「大衆めし」という視点に拠って、日本料理が日本"の"料理ではないこと、食の薀蓄語りの貧しさ、スローフードや食育の言説が弄ぶ欺瞞が照らし出される。思想性やモノの豊富さから、食べるメチエによる豊かさを奪取せよ。「大衆めし」とは大地に接し、食べる身体を拠点化するための批評装置である。
https://twitter.com/syamada0504/status/968089007367192576
シャマダマ●
@syamada0504
「水の月や砧巻は、変革期特有の料理人の類型的なレトリックである。そしてこのレトリックは、産業資本の確立がもたらした変革が、伝統的庖丁文化と交差したところに生まれた、一種のデフォルマシオンであり、料理人のモダニズムでもあった。」(江原恵『庖丁文化論』)
シャマダマ●
@syamada0504
庖丁さばきを貴ぶ日本料理は食物を空疎化し、観念に拝跪せしめる権威主義に堕した。それとともに料理は家庭と料理屋に分断され、料理の概念もどこかに紛れてしまった。そうした情勢に、江原は大地へ向かうよう提起する。割から烹へ。烹のはじまりへ。言葉遣いからも芬々たる詩人による料理批評の奇書。
20:43 - 2018年2月26日
https://twitter.com/syamada0504/status/969214353227505664
シャマダマ●
@syamada0504
津村記久子「粗食インスタグラム」をやっと読んだ。単行本には未収録で、『群像』2015年9月号に掲載。たしか藤原辰史との『ナチスのキッチン』にちなんだ対談で名前が挙がってて、きれいで美味しそうじゃない食べ物をインスタグラムに投稿したら?という発想に興味を惹かれて読みたいと思っていた。
23:14 - 2018年3月1日
シャマダマ●
@syamada0504
しかし一発ネタじゃなかった。一日目の投稿は「クラッカー+水」だけれど、そうなった理由(何を食べればいいか分からなくてスーパーで二時間以上浪費した上、コンビニに行っても選べなくて最終的に無色な「水」に辿り着く)がみっちり書かれてるのがいい。翌日は「ソフトクリーム+コーンスープ」。
23:15 - 2018年3月1日
シャマダマ●
@syamada0504
ネカフェの「食べ放題」に「なんだったら食べなくても良い」オープンさを感じて安心する。「私は、ソフトクリームを慎重に器に出して、コーンスープをマグカップに入れ、オープン席のテーブルの上に置いた。そしておもむろに携帯で撮影した。頭も体も悪そうな感じがしたが、不幸せそうではなった。」
23:16 - 2018年3月1日
シャマダマ●
@syamada0504
書かれているのは食べ物がまわりに溢れて選択できるからこそ下さなければならない「判断」の苦しさ。「私」は「判断」する仕事をしていて、だから「その外では、判断をしたくない」と思う。この情報過多の場所に置かれたときの、選別できない「しんどさ」を書いていて素晴らしかった。
23:16 - 2018年3月1日
以上。
津村記久子「粗食インスタグラム」を読んでみたい。
ほかに、相互フォローの関係なのに気がつかなかった。1年ちょっと前に『大衆めし 激動の戦後史』について言及されていた方がおられた。相互フォローだが、存じ上げない方だ。
https://twitter.com/skyshouk/status/816435485505486848
skyshouk
@skyshouk
『大衆めし 激動の戦後史』は料理につきまとう観念は外した方が良いと教えてくれる。「あるものをおいしく食べる」(p192)というのが食文化で、そこを見すえた方がいいよと。
その他、コールドチェーンが食の流通において世界だけでなく、日本を初めて統合した(p43)などの指摘も興味深い。
9:06 - 2017年1月4日
skyshouk
@skyshouk
skyshoukさんがPost Foodをリツイートしました
前に言及した『大衆めし 激動の戦後史』を読んだ後では、彼女が生活に根ざした料理を作っていたと思しきこと(そしてそれが彼女があまり知られていなかった理由であると示唆されていること)が興味深い。
skyshoukさんが追加
Post Food
認証済みアカウント @WaPoFood
Edna Lewis' classic cookbook zooms up the charts after 'Top Chef' tribute http://wpo.st/829Q2
17:03 - 2017年1月8日
| 固定リンク | 0