2021/05/17

びっくりして、ひっくり返りそうになった。

2003年に早川書房から単行本で発行され、2010年にハヤカワ文庫になった、『食べる人類誌』(フェリペ・フェルナンデス=アルメスト・著、小田切勝子・訳)は、「火の発見からファーストフードの蔓延まで」という壮大なサブタイトルがついている。

だけど、いろいろ悩ましい記述も少なくない。

日本がらみでは、「格調高い料理の極致は、たぶん懐石料理だろう。皇室をもつ日本の伝統が生んだ優雅な料理である」というのだ。

読んでみると、いわゆる「わび茶」の流れの懐石料理と、それが決別したはずの朝廷や貴族たちの本膳料理の流れがごちゃまぜになっている感じだ。

それはまあ、料理にかかわる仕事をしている日本人だって、日本料理と懐石料理については、誤解は少なくないのだから、仕方がないかもしれない。権威争いや正統争いもあって、言説入り乱れややこしく、おれだって正確に理解しているかどうか。

だから、それは知らん顔するとして、つぎの記述には、びっくりして、ひっくり返りそうになった。

・・・・・・・

この伝統につらなる食事では、盛大な宴会と同じくらいの――より繊細ではあるが――肉体的快楽を得ることができる。辻静雄は大阪で調理師学校を経営していることで有名だが、彼のような偉大な料理人は、食卓にだす魚を「娘盛りの若い女性」のような舌触りをもつかどうかで選ぶことができる。

・・・・・・・

この魚は、おそらく鮎のことではないかと思われるが。それにしても。

悩ましい。

解説の小泉武夫によると、著者は、「英国人の歴史家で、とりわけ人類の文明史の研究においては、世界的に知られた学者」なのだそうだ。

いやはや。

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2021/05/16

欧米型食生活、日本型食生活というけれど。

イスラエルのガザ攻撃はひどいことになっているようだ。

シリアはどうなっているのだろう。

あのパレスチナの地あるいはシリアの地、ようするに西アジアは「中東」などとよばれ石油ばかりが注目されるが、広く食されている食材の原産地であり、1万年来の文明を支える食事が続くところだ。

コムギ、エンドウマメ、ソラマメ、ニンジン、タマネギ、ホウレンソウ、ダイコンなどの野菜、ブドウやリンゴ、ビール、ワインなどの栽培や生産、ウシ、ヒツジ、ブタの家畜化、これらは西アジアを起源としている。

乳製品の歴史も古く種類も多い。オリーブの実を食す歴史は新石器時代以前に遡るらしい。

そこから改良を加えられながら伝播し、いま日本で「欧米型食生活」といわれるもののコアな食材の起源は西アジアにある。

テナことを最近読んでいる。

そして、日本の食生活と、かの戦火の地の、深いつながりに思いをはせる。

シリアの農村で20年以上調査を続けてきた常木晃は、「現代の西アジアのレストランのメイン料理は、キャバブと呼ばれるヒツジの焼き肉が中心ですが、村の人々の食事にほとんど肉は出てきません。彼らが肉を食べるとしても、月に数回ほど、ほんの少しのひき肉を野菜料理に混ぜる程度です」「実はシリアの人々にとっての重要なタンパク源やカロリー源は肉類ではなく、豆料理や乳製品であり、オリーブ油なのです」と述べているのだが、こんなおもしろいこともいっている。

「現在世界の穀物生産量は毎年20数億トンにもなりますが、そのうちコムギ、コメ、トウモロコシの3大穀物で全体の8割にも達します。最初にコムギが栽培化されて以降のこの1万年間の人類の食物史は、この3種類の穀物への偏愛ということにつきます」

そうそう「偏愛」だよなあ、と思いながら、その「偏愛」を推し進めたのは、侵略と略奪と搾取の体制だったのではなかと思うのだった。パレスチナやシリアの地で、いま起きていることはもちろん世界中で。

「欧米型食生活」「日本型食生活」といった言葉あるいは概念は、実態としては、まったく無意味だし、未来を構想する力にはならない。

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2021/05/03

料理と情報と文化。

ある料理に含まれる情報と文化というのが気になって、手元にある資料をパラパラ見ていたら、『情報と文化』(情報文化研究フォーラム・編/松岡正剛+戸田ツトム・構成、NTTado1986)に、このような文章があって、おどろいた。

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 一九六八年、ブラジルとメキシコの五〇年代から六〇年代にわたる"現代化"を広範に調査研究してきたジョセブ・カールは、現代人の特徴として次のような興味ぶかい一〇項目があげうることことを報告した。
 ここで"現代化"の研究とは、交通や機械やファッションによる都市のコミュニケーションの変質にともなう住民の意識選好度の変化を検討することである。ここにはよい意味でもひどい意味でも、いわゆる現代人のアイデンティティがよくあらわれていよう。
①…………将来の計画を立てようとする行動性
②…………役割にもとづく生活機会の階層化への努力
③…………低次の地域的階層化
④…………職業の優先と成功への意図の露出
⑤…………親族との弱い結びつき
⑥…………個人主義と自己経歴の追求
⑦…………部外者に対する不信感
⑧…………マスメディアへの過度の依存
⑨…………都市主義への傾斜
⑩…………大企業と官僚性への屈従と労働の容認
 いささか強調しすぎている点やサラリーマン型にかたよっている点が目につくが、ここにあげられた特徴は二〇年ちかくたった今日なお充分に通用するものだろう。
 ブラジルやメキシコの現代にあてはまるばかりではない。「低次の地域的階層化」といい、「個人主義と自己経歴の追求」といい、また「マスメディアへの過度の依存」といい、日本の今日や明日にもあてはまる。

(『情報と文化』情報文化研究フォーラム・編/松岡正剛+戸田ツトム・構成、NTTado1986 P238)

・・・・・・・・・・・・・・・

「日本の今日や明日にもあてはまる」といっているのだけど、この当時から30数年がすぎも、まったくこの通りで、そのまま突き進んでいる。

この本の最後は、「すこし遅きに失するような気もするが、情報とシステムをめぐる議論はこれからこそ本格化をめざさなければならなくなっている」と結んでいるが、もう完全に、遅きに失したような気がする。

料理も、こうした“現代化”の中にあった。

そして、毎日、食って生きているのだ。

 

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2021/04/26

芋サラダ。

「ポテトサラダ」のことを「芋サラダ」というのは、古い大衆酒場や大衆食堂でよくあったことだし、いまでも少しは残っている。

たいがい、おれのような下世話な人間が安住する世間のことだと思っていた。

ところが、阿川弘之の『食味風々録』(新潮社、2001年)を読んでいたら、このような記述があった。

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 昭和三十年前後、銀座ローマイヤの各種ソーセージ、アイスバイン、芋サラダ、酢キャベツなど、ドイツ風の食品が未だすこぶる佳味珍味とされてゐた頃、店の前を通りかかったら、吉田さんがガラスケースの中を、一心に、傍目もふらず眺め入ってゐた。

・・・・・・・・・

「吉田さん」とは吉田健一のことだが、この書き方からは、銀座ローマイヤが「芋サラダ」と表記していたのか、阿川がポテトサラダを「芋サラダ」と表記したのかは判断できないが、どのみち、おれなんかとは、とくに、昭和30年前後などは、まったく縁のない高級な方面の街や店や人たちのことであり、「芋サラダ」という言い方は「格差」をこえて使われていたのか気になった。

ま、ジャガイモ料理や酢キャベツなどは、ドイツでは、下世話な料理だったには違いないが。国がかわれば「佳味珍味」となる。

それはともかく、「芋サラダ」という言い方、「芋」のぬくもりが伝わるようで、いい。

だけど、「芋」は、「芋侍」とか「芋野郎」とか、侮蔑的な用いられ方がされてきた歴史もある。

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2021/01/08

モニターの向こう。

津村記久子のエッセイだったと思うが、風邪を引いて近所の開業医へ行った話があった。

若い女医がパソコンの画面を見ながら対応し、ほとんど患者の方を見ないで診察した。というようなことが書いてあって、著者の納得いかない気持をただよわせていた。と記憶している。

たしかに、いまおれが通院して診療を受けるときも、主治医とおれが向かいあうのは、最初と最後ぐらいだ。

呼ばれてドアを開けて入ると、主治医は左側の壁に向かって大きな机に座っている。机の上には大きなモニターがある。

主治医は、こちらを向いて「どうですか調子は」とかいう。おれは「もう絶好調です」とかいいながら、イスに腰をおろす。このときは、ほぼ正面から顔を合わせる。

そのあとは、主治医はモニターの方をむき、データで送られてきた診療前に採血採尿した検査結果を見たり指さしたり、前のMRIやCTの画像を出したりいじったりしながら話す。おれも横から、その画面をのぞき込みながら話す。主治医もおれも、お互い目を横にはしらせてチラッと顔を見たりはするが、見えるのは横顔であり、向かいあうことはない。

話は、けっこうはずむけど。

そして、その日の結論らしいものが出たところで、最後は向かいあって、対策や処置の確認などをする。

そんな感じなのだ。

昔の医者は、患者と物理的に向き合っている時間が長かった。聴診器をあてたり、手をとって脈をはかったり、口をあけさせて中を覗いたり、瞼をあげたりさげたり、腹をさすったり押したり、組んだ足の膝をトンカチみたいなもので叩いたり…。すいぶん昔のことだが。

いまでは、たいがい機械的に処理され、モニターに映しだされる。手術後の寝たきりのときなどは、身体にいろいろな器具やコードなどがからみついて、枕元のモニター(あるいは病状によっては看護室のモニターなど)では、いろいろな数字が動いている。

1980年代ぐらいから、近代医学に対する批判が高まり、90年代には「医療の高度化」も進み、「医者の目は、患者さんに向けられていません、視線はもっぱらモニターに向けられています」「患者さんの病気は、患者さん個人にはなく、モニターの上にあるのです」なんてことがいわれるようになった。

そういう傾向に対して、「病気を診るのではなく、人間を診るということに尽きるのではないでしょうか。まず患者さんを一個の人間として診るところからすべては始まると思います」といった考えが医学の関係者のあいだでも議論されるようになった。

なかなか難しい問題だ。そもそも「病気」の定義からして。

「医学のまなざし」をめぐる議論が、代替医療のことなども含め、まだ続いている。

「まなざし」という言葉は、よく知らないが、ミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』のキーワードらしい。「医学のまなざしをめぐって」という議論もあった。

「まなざし」という言葉は、医学系にかぎらず、けっこう学術系の人たちが多く使うようになって、いまではチョイとなんだか人にやさしい丁寧で深い考えがありそうな言葉として通用しているように見える。

それはともかく、「人間」「身体」「生命」といったことに対する、さまざまな考え方(主に近代的な考え方が)が問われたのだが(「ポストモダン」や「ニューアカ」ブームもあって)、ことは「医」だけではないはずだ。

「人間」「身体」「生命」のことは、「食」も関係が深い。「医食同源」なんて言葉はある。ところが、こちらのほうは、「医」ほどは、議論になってこなかった。

いま、チェーン店では続々とモニターの導入が進んでいる。カウンターやテーブルの上で、モニターを見て注文し、会計も自動のところが増えつつある。

「食べることへのまなざし」なんて議論があってもいいんじゃないかなあ。食べ物のことばかりじゃなくてさ。

とにかく、「モニターの向こう」が気になる。

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2020/12/17

ブリコラージュな「やきめし」。

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今年は「分解」という言葉を抱えて、考えたり考えなかったりしていることが多かった、といえるようだ。

なんとかこの言葉を噛み砕いて自分のものにできないか。

このブログには、こんなことも書いている。

2020/10/19
料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/10/post-197393.html

んで、大衆食堂の画像を整理していたら、十条の天将の「やきめし」が目にとまった。

この「やきめし」、これはブリコラージュではないか。

やきめしの楽しさはブリコラージュにあるとひらめいた。

あまりものをテキトウにぶちこんで作る「やきめし」、うまいんだな、これが。おれが父親に最初に教わった料理が「やきめし」だった。

ひらめいた脳ミソに「パッチワーク」という言葉も浮かんだ。そうだ、パッチワークはブリコラージュ、やきめしはパッチワークでありブリコラージュだ!

そうそう、藤原辰史『分解の哲学』には、「金繕い」の話があったな。あれも、同じ類ではないか。

と考えているうちに、だんだんだんだん、見えてきた。

料理は、食材や熱や欲望などいろいろな関係を繕うものであり、その料理を食べて人間は身体や気持を繕い、料理を一緒に「食べる」ことで人との間を繕い……てなぐあいに、「繕う」という言葉を置いてみると、食事と料理をめぐるブリコラージュが、「分解」が、見えてきた。

ような気がしている。

「料理」について、大きなカンチガイがある。

それは、エンジニアリング力で提供される「いいもの」を消費する、近年の「消費社会」の中で、拡大してきた。

一方で、やせほそるブリコラージュ力。つまり、「家庭料理」という言葉で語られるところのいろいろ。

この「やきめし」を見ながら、そう思った。

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2020/12/06

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。

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今日のニュースに「東京の不動産投資額が世界首位 コロナで海外資金流入」という大きな見出しがあった。うれしくない、誇れないニュースだ。

土地を不動産価値でしか数えられなくなった日本、その首都の姿。こんな時代だから、まず「土地」を、地球と人類の歴史的資産であり文化的資産である「土」として、見てみよう。その資産を食いつぶしながらの「経済」の姿も、見えるだろう。

「土」を日々生きる視野に入れるのだ。

『スペクテイター』最新号「土のがっこう」は、人が生きていく上で、ということは、食べていく上で、必須のことが詰まっている。これまでこういうテキストがなかったのが不思議なぐらいだが、それが現実だった。

2020/11/19
都市的風景と農的風景の断絶、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/11/post-2cfd79.html

に、顔を出してから、なかなか本題に入れなかった。でも、この間にブログに書いていたことは、「土」と学校に関係あることだった。昨日と一昨日に書いた、学校のことは、偶然にテープ起こしが見つかったからだが、自分は小学校や中学校で、どんな教科書を使いどんな授業を受けていたのだろうと考えていた。あまり思い出せない。

自分が卒業したあとの学校世界のことは、ほとんどわからないが、2000年頃に東京都の小中学校で授業を取材する機会があって、いくらかは見えたこともあった。だけど、どんな教科書を使いどんな授業をやっているかは、ほとんど知らない。知らないでも、生きていける。たいがいの大人たちは、そうではないだろうか。

土の中、を知ることは、「生きる」や「価値」を知ることでもあるのだな。とはいえ、「土」がどうして存在するかについての知識もおぼつかない。

「太陽」と「空気」と「雨(水)」と「土」がなければ、人間もあらゆる生物も生きていけない。といわれるが、中でも、「土」が特別なのは、「土」は自然にあったものではなく、マグマが冷えて固まった「岩石」が太陽と空気と雨それに微生物や苔などの作用でできてきた。気が遠くなるほどの時間がかかって「土」ができてきた。とても薄い「土」の層。磁器の釉のようなものか。「土」は、太陽や空気や雨のように人間の生理と直接関わるわけじゃない。あいだに「農」や「農耕」や「食」などの文化が介在する。そして、だから、人間の扱い方(文化)によっては、失われるのもはやい。その循環のどこかが損なわれると、「土」はどんどん失われる。

いま、そのことが問われている。

「1時間め 基調講演 ようこそ!土の世界へ」では、土壌学者の福田直さんが、「土壌教育」の必要性を強調しながら、「学習指導要領でとりあげられた”土”という言葉は、学習指導要領が改訂されるたびに、けずられてきました」と語っている。

おれが子供の頃ですら、まだ多分に農業社会的だったけど、「土」については、学校でちゃんと学んだ記憶はない。では、いったい、何を学習していたのだ。

学校教育も実生活の舞台も、どんどん「土」から離れていった。おれも、東京に出てからは、どんどん「土」から離れていった。

少しばかり「土」と縁ができて日々の「視野」に入ってきたのは、80年前後ぐらいからだ。ある旧財閥系の園芸会社の仕事を請け負ったことで、「土づくり」や「種苗生産」といったことに接する機会があったし、自分でも実際に小さい畑を耕し肥料を施し、じゃがいもやサヤエンドウを育てたりした。

「脱工業化」や「エコロジー」な時代背景もあり、だんだん「土」や「自然」へ傾斜していった。高校のときから登山をやっていたから「自然」とは親しかったようだけど、そういう「自然」と「土」の「自然」は、チョイと違う。いや、かなり違う。

「毎日うんこと泥をこねくりまわしていますよ」

あんぱんの皮のように日焼けした顔をほころばせながら、そういうショウさんのことを、「土のがっこう」を読みながら懐かしく思い出した。

ショウさんは、土壌浄化法による下水処理施設の工事(この仕事でうんこと泥をこねくりまわしているのだ)と自然農を営んでいた。おれが初めてあったのは、1989年か90年頃で、自然農法は始めたばかりの頃だった。

おれはショウさんの家に「下宿」して仕事をしていた。周囲には、「無農薬有機栽培」なんて謳わなくても、先祖代々それが当たり前の農林業家などがいて、何人もの人たちと交流があった。

その一人がクリさん。「自然は、わたしたちがやったことに必ず応えてくれます。自然に聞きながらやるんですよ。無理はいけないし、自然に逆らうおかしなことはいけない」といった。彼は、農林業を学ぶための国立大学と大学院6年間以外は、ずっとその土地で生きている。彼の林や田畑は、見ただけでわかると誰もがいったし、素人のおれでもわかった。当時、無農薬有機栽培の野菜は農協が引き取ってくれず、販売ルートで困ることが多かったのだが、彼の野菜は仲買人が競って買い求め市場でも高値がついた。

「土」「農」「有機栽培」「無農薬」「減農薬」「自然農法」「慣行農業」…などについて学ぶことが多かったが、なにより、生き方やモノゴトの見方について、いろいろ学んだ。以前、このブログでも時々書いている。

ま、とにかく「土」も「土いじり」も面白いね。けっこう興奮するし。「土」のぬくもりは、癒しになるし。

いまは小さな庭の水やりていどで、「土いじり」ってほどはやってないが、近所には畑がけっこうあって、毎日「土」を見ている。あの、ふかふかした「土」の顔は、見ているだけで気持が和む。

まずは、「土」を知り、「土」に親しむ。

もくじだけ紹介しておこう。

最初の扉に、「土」の文字が、どのような意味と歴史で成り立っているか解説がある。知らなかった。これだけでも得した気分。

◆イントロダクション

土のせかいは、おもしろい 文/編集部 イラスト/河井克夫

◆基調講演 ようこそ! 土の世界へ

講師/福田直 インタビュー構成/編集部 イラストレーション/相馬章宏

◆学習まんが 土ってなんだろう?

作画/河井克夫 原作/福田直 構成/編集部

「土と日本人」
「土と人類」
「土壌侵食って何?」
「土と教育」
「土と有機農業」
「2008年以降」

◆ロング・インタビュー 土からのメッセージ

取材・構成/編集部

橋本力男「堆肥づくりは 感性の扉」

小泉英政「土から見えたものは」

◆土と仕事

土に救われた僕
文/モリテツヤ

土いじりを仕事にするまで
文/高谷裕一郎

土から教わる、おいしい哲学
文/齊藤はるか

野菜ジュースと堆肥
文/コウ ノリ

一〇〇〇の用途のある粘土
文/川内たみ

◆土と生活

《わたし》は土に還れるか? ──離れ小島でメンドリと暮らす
文/よしのももこ イラスト/ブックン

◆「恵みの土」
マンガ/まどの一哉

◆土の図書館

「土のまわり編」文/桜井通開
「土のいじん編」文/横戸茂

http://www.spectatorweb.com/


当ブログ関連いくつか

2017/08/14
有効微生物群(EM)の初期の資料。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/08/post-3440.html

2009/02/12
みんなで農業、いのちと〝農〟の論理。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2009/02/post-bc2c.html

2008/09/17
百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/09/3-2810.html

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2020/12/05

学校給食と食文化。

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昨日のことから、取材で訪ねた学校の給食の画像があるはずだと探したら、二枚だけ見つかった。

一枚目は2001年11月15日の撮影、2枚目は2003年1月29日の撮影。

昔の画像は、パソコンクラッシュで、失ったものが多いのだが、よく残っていた。

東京都の小中高の授業の取材で、いろいろなところへ行った。校長やいろいろな先生にあった、学校管理の役所と化した教育委員会のエライ人にもあったな。八丈島へも行った。面白かった。

取材の時間によっては、給食をいただくことがあった。

給食をいただかなくても、厨房や少しずつ普及していた「食堂」などを見させてもらうこともあった。これは、取材とは関係なく、「個人的興味」でお願いした。

都区内の学校ほど食堂が整っていた記憶がある。ま、「財政事情」の違いにより、都区内でもいろいろだけど。すごい立派な食堂の小学校もあったなあ。

画像の一枚目は、たぶん、大田区立の小学校だと思う。

すべて校内の厨房で作っていて、このパンも「自家製」だと説明された記憶がある。

二枚目の画像は、よく覚えている。多摩地方のある市立の中学校だ。

セントラルキッチン方式での給食だった。

育ち盛りの中学生が、この量で満足するのだろかと思って、一緒に食べた校長に聞いた。

そういう質問をすると、たいがい同じ答えがかえってくる。

「カロリーは足りているはずだが…」

よく噛むかどうかで、満腹感は違ってくるのだ。これは病院の食事でも、同じことを言われる。

給食の苦労は、なんといっても、予算内であげることだ。どこでも、その苦労話になった。

この頃は、一食200円台ではなかったかと思う。おそらく材料費あるいは「原価」相当分だけだろう。

「食文化」というと、とかく、それなりの金額で提供する料理や食事、ある種の職人的・文学的・芸術的な香りのする方面を中心に語られがちだ。

それは必ずしも「食文化」ではなく、もっと別の狭い視野での「文化」のことではないかと思うことが多い。これが「科学」なら「エセ科学」とでもいわれるようなものでも、「文化」は上手な写真や文章でごまかしがきくらしく、「エセ文化」といわれることはなく「食文化」として通用していることがたくさんある。

食文化がどこに存在するかというと、こういう給食を含めた、例えば、こういう給食と、先にあげた一般的にメディアなどで注目され「食文化」といわれているような料理や食事のあいだにあるはずなのだ。

もっと大きな視野でみれば、「食」から見た、自然と人間の接点にある文化的な営み。

自然と人間の接点というと、「土」と「台所」になる。ここで自然と人間の営みが、文化的に交差する。

自然とじゃがいものあいだには「土」がとりもつ文化があり、そして「台所」の文化がじゃがいもとポテトサラダのあいだをとりもつ。

高級店の食べ物は、そこだけで、給食などとは無関係に存在しているわけではない。文化的には、同じ「土壌」のものなのだ。

だけど、そういう視点で書くひとやメディアは、どれぐらい存在するのだろう。ショーバイにならんし。「食文化」は歪む。紙メディアだろうとインターネットだろうと「稼げるネタ」としての「食文化」。それは多幸症的消費文化の一翼としての「食」の表層として見ることができる。

なーんてことで、先日来、このブログにお題目だけ登場している、『スペクテイター』最新号「土のがっこう」と、つながりそうだ。

「科学」や「科学的」という言葉を、日常雑に使うようになった。「文化」や「文化的」という言葉も同じ。「芸術」なんて言葉は「クソ」と同じように使われる。『スペクテイター』の「土のがっこう」は、それらを問い直しているようでもある。

かな?かなかな。

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2020/11/27

『dancyu』と「男の料理」。

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たまーに『dancyu』に書いたこともあってか、毎号送られてくるので恐縮している。

今月6日発行の12月号は「創刊30周年記念大特集「おいしい店」100軒」であり、予告によれば12月発行の1月号も30周年特集だそうだ。

30周年記念特集を組むにあたり、編集部では「30周年記念アンケート」を行い、おれにも回答の依頼があったのだが、辞退させてもらった。体調があまりよくなく、モノグサなうえに考えるのも面倒な気分だったこともある。毎号お送りいただきながら付き合いの悪いことで、こういうことだから、出版社との関係もドンドン切れていく。もともと「業界人」の自覚が低いし。

それはともかく、この特集に、「創刊30年分の座談会」というのがあって、創刊の頃を語っている。座談会のメンバー4人の中に、創刊当時からの編集部員が2人いて、5代目編集長の里見美香さん(現在も編集部員で、おれも一緒に仕事をしたことがある)と6代目編集長の町田成一さんだ。他の2人は現在の編集長の植野広生さん(創刊当時はライターとして執筆)と1997年に発行元のプレジデント社入社の藤岡郷子さん(2度ほどだったかな?一緒に仕事をした)。

「創刊号が発売されたのは1990年の12月6日。当時はバブル真っ盛りで、男性の趣味の雑誌をつくろうというのが、そもそも発端だったと聞きました」と里見さん。

そうそう、幹部ビジネスマン相手の『プレジデント』を発行する出版社が、読者の余暇利用をねらって出したというような話を聞いたことがあると、おれは当時を思い出した。

どこかに書いたと思うが、1977年11月に「男子厨房に入ろう会」というのが発足し、その略称が「だんちゅう会」だった。それとの直接の関係は知らないし、座談会でもその会のことは語られてない。

「だんちゅう会」については、発足当時、食品メーカーのPR誌の編集をしていた知り合いが取材して、割とカタイ会社の管理職が多いというような話を聞いた覚えがある。

「だんちゅう会」の発足のあと翌年か翌々年に、「男子厨房に入ろう」を押し進めるように、『週刊ポスト』の「男の料理」の連載が始まった。巻末カラーグラビア。それが大当たりして続いた。

「だんちゅう会」は、料理店の料理人に料理の「作り方(レシピ含み)」を教わることをしていたし、『週刊ポスト』の「男の料理」も同じようなことをし、かつ作家の手料理なども紹介していた。ようするに単なるお店紹介ではなく、男が趣味の時間を使って作る料理、ということをタテマエにしていたといえる。

『dancyu』も、そういうセンだったと思う。座談会で藤岡さんは「創刊から読み返していたんですが、創刊3~4年はだいたいお店で料理を習って、店紹介がその後にちょぼちょぼと続く感じ」といっている。

『dancyu』には何回か登場し、この特集にも登場するある店を取材したことがあるが、昔は取材の時には「謝礼」をもらった、と、お店の方がいっていた。金額も聞いたけど、悪くない額だった。それが当然といえば当然だろうけど、いつごろからか「立場」が変わってしまった。

70年代後半、高度経済成長後の日本は「レジャー(余暇利用)」がブームになり様々な展開を見せていたが、『週刊ポスト』は、そこへ「男の料理」を持ち込んで広げた。キャッチーな言葉だった。発行部数からしても、別冊や単行本も売れたことからも、その影響は大きかったと思うが、では、どれぐらいの男たちが実際に台所に立ったかというと、こころもとない。ましてや「男の料理」という概念は問題ないかといえば問題大いにありそうだし、実態は別の動きをしていて、それとのギャップが大きいと思う。

ま、出版やメディアの表層と実態はギャップがあるものなので、そこをぬきに議論をすすめるとおかしなことになるのは、「男の料理」も同じ。読んで見てオシャベリして楽しんでオワリ、というのが料理や飲食に関しては珍しくない。

以前に、書評のメルマガで「食の本つまみぐい」を連載していたとき、津村喬の『ひとり暮らし料理の技術』(野草社1980年7月)を紹介した。この本の最初の出版は「男子厨房に入ろう会」の発足と同じ1977年だが、「男の料理」ではなく「ひとり暮らし」としたところに、真実性がある。趣味ではなく生活のことだった。

けっこう話題になり売れたのは、著者は、いわゆる「団塊世代」で、かつ当時の同じ世代の「カウンターカルチャー」系の若者から支持があったことが関係していると思われる。この本の読者は、余裕の趣味のために読んで楽しんでオワリというのとは傾向が違い、生活実践の思想と技術として、活用した可能性が大きい。

「戦後民主主義」の標本のように見られる「団塊世代」、それから「カウンターカルチャー」系にしても、料理や台所に立つということについては、簡単ではなかったはずだ。日々の料理や台所は「女」が担うものという「習慣」は根強く、戦前そのままの思想が70年代でも主流だった。

だからこそ「男の料理」がキャッチーであり、話題になったともいえる。

「男」が自然に台所に立ち料理をするようになるのは、学校の家庭科教育が「男」も「女」も「人として」同じように扱うようになってからといえるのではないか。

そこへ学校教育が向かったのは、いつからだろう?調べてみたことはないが、「男女共同社会」が政策として推進される2000年頃からか。いまの30代前半以下ぐらいの「男」と話すと、変化を実感する。

『dancyu』30周年、出版も大変な時代だった。おれの考えとはいろいろ異なる雑誌だけど、よく続いたし、もっと続いてもらいたい。

この30年の間に、生活と料理をめぐる環境も言説も、かなり変わった。まだ変わっている最中だ。どこへ行くのだろう。

「男」でも「女」でもなく「人として生きる」ところに料理は存在してきた。いつ「男の料理」なんていう言葉が死語になるのだろうか。

ザ大衆食のサイト
書評のメルマガ08年12月18日発行 vol.389
■食の本つまみぐい
(30)自分で食べるものは自分でつくる食の「自主管理」を主張
 津村喬『ひとり暮らし料理の技術』野草社、1980年7月
http://entetsu.c.ooco.jp/siryo/syohyou_mailmaga389.htm

当ブログ
2017/06/30
『dancyu』をふりかえる。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2017/06/dancyu-e433.html

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2020/10/19

料理や食事と、エンジニアリングやブリコラージュ。

食をめぐって自分が考えてきたこと、つぎつぎに出現するさまざまな言説などが、頭の中で整理がつかない状態で、癌に突入した。

その治療の考え方と方法が、なかなかおもしろくて、刺激を受け、頭の中の整理が、糸口をつかんだていどには進んだ。

そのことについて、ちょっとだけ備忘のメモをしておきたい。

ひとつは、「ぶっかけめし」について、とくに今世紀になってから、くっきり見えてきたことがあって、『ぶっかけめしの悦楽』や『汁かけめし快食學』のレベルから、もっと掘り下げる必要があると思っていた。

ひとつは、藤原辰史の『ナチスのキッチン』や『分解の哲学』に述べられている核心を、食生活や食文化のレベルでおれなりに納得がいく理解をしたいということがあった。

もうひとつは、久保明教の『「家庭料理」という戦場』が提起していることを、やはり、学問の業界に身を置いていないおれなりに突き詰めてみたいということがあった。これには、山尾美香が『きょうも料理』でしている仕事もからむところがあって、それは「ようするに家庭料理ってなんだ」ということなのだ。

おれは、すでに何度か述べているように、「家庭料理」という言葉に違和感を持ちながら使ってきた。どうも、この言葉が、日本では、といったほうがよいか、料理をわかりずらくしてきた、つまり楽しみにくくしてきたのではないかという疑いがある。

それやこれや考えていたのだが、おれの癌の治療を当事者あるいは傍観者として見ているうちに、あの、例の、「エンジニアリング」と「ブリコラージュ」という言葉が浮かんだ。

主治医と、治療の考え方や方法、CTやMRI検査の結果の検討など、いろいろ話しているうちに、ああ、身体のことや病気のことや治療のことなどは、エンジニアリングとブリコラージュの思想や方法が関与しているのだなと思ったのだ。

それは矛盾の関係でありながら、相互補完の関係というか、そのあたりはまだ書けるほど理解はしてないが、どっちが正しいかという問題ではないのは確かだろう。

食事や料理についても、身体と深い関係にあることだし、エンジニアリングとブリコラージュの思想や方法から見ることが可能のように思えてきた。

このブログで前に、「ロスト近代」がなんじゃらかんじゃら書いていたが、そのときの25年単位でいくと、ここ25年のあいだに、ブリコラージュな料理や食事が広がり、それなりの位置を占めるようになった。

「和洋中」という、エンジニアリングな近代を背負った食事と料理が大勢を占めていた中で、80年代から少しずつ「エスニック料理」や「インド料理(エスニック料理に含まれるけど)」などが広がり、いまではスーパーの売り場まで変える状況で、単なる流行現象といえないほどになった。このことがブリコラージュな食事や料理の広がりと大いに関係がありそうだ。

そこには、ちゃんと「ぶっかけめし」も位置しているのだが、おれは江原恵の見方を継承し、美味追求の二つの型、つまり「複合融合型」と「単品単一型」にわけ、ぶっかけめしを複合融合型としたのだけど、そこにブリコラージュの思想や方法を見ていなかった。というか、見る知識も能力もなかった。

単品単一型はエンジニアリング的であり、複合融合型はブリコラージュ的である、と型にはめることはできない。そこに、どんな関係があるか、なのだ。

ひとつの思い付きだが、当然のことだろうけど、「マーケティング料理」になるほどエンジニアリングの思想と方法が幅をきかす。「マーケティング料理」とは「商売料理」を「ロスト近代風?」に言い換えてみただけだが。マーケティングは思想も方法も、エンジニアリングの申し子のようなものだ。

マーケティングされてない料理というのがあると思う。たいがいの「家庭料理」は、そのはずだ。大衆食堂の料理にも多い。

ここで気になるのは、「レシピ」ってやつだ。レシピは、エンジニアリングの思想と方法の第一歩なのではないか。つくる人の試行錯誤や繕いを、できるだけ取り除いて成り立つ。

レシピにしたがってつくられたものを、そのまま食べる、これは「単品単一型」にはありがちだし、食べ方をはずすと行儀が悪いだのなんだのってことにもなる。

ところが、「複合融合型」は、食べる人がごちゃごちゃ混ぜたりしながら食べるのが普通だ。仮にレシピに従ってつくられても、食べ方はブリコラージュ的といえるのではないか、それにつくる人も、それを前提にしているのではないか。

なーんてことを、あれこれ考えている。

おもしろい。

誰かが何かについていった言葉を、うろ覚えで借りて言葉を変えれば、料理とは、料理とはなにかをめぐる思考の移動なのだ。

2020/06/24
25年の節目と時代区分で、コーフン。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/06/post-bf6cef.html

 

 

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