2009/07/15

ありふれたものをおいしく。「料理」は変わる。

時間がないから、ネットでみつけた、この記事だけメモしておく。ときどき書いてきたことだが、近年、料理は、あるいは料理に対する考えは、大きく変ってきている。「ありふれたものをおいしく」は、もともとキホンだったのだが、今後ますます語られるようになり、かつ磨かれていくことになるだろう。つまり、「あんなものは料理ではない」といわれてきた、生きること、働く生活のなかの料理が、やっと、「料理」として見直され、あたりまえに語られるようになる。この「変化」は大きい。告知してある連載「わははめし」も、この流れといえる。


(2009年7月14日 読売新聞)より
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20090714-OYT8T00281.htm?from=yolsp

「卵掛けご飯」 コシノヒロコさん
創造力駆使 服も同じ


「手間がかからなくておいしい私の料理は、働く女性や一人暮らしの男性にぴったりじゃないかしら」(東京・渋谷区で)=菅野靖撮影 「ずっと仕事中心の生活。献立を考え、買い物をして、料理するなんてしたことない。ただ『窮すれば通ず』で、冷蔵庫にあるものや残り物で何か作ることは得意やな」と笑う。

 そんな自信作のひとつが卵掛けご飯だ。とても料理とは……と侮るなかれ。「私の顔を見るたびに、卵掛けご飯が食べたいと言う人がいるほどなんだから」

(略)

限りある材料と時間で、どうやって良いものを作るか? その点で、料理と服作りは似ているという。「違いは、舌で楽しむか、着て楽しむかだけ。良いもの作りには、創造力とコーディネート力が問われるわけよ」

 卵掛けご飯にとどまらず、湯がいたインスタントラーメンをいためて花がつおとザーサイをまぶした焼きそば、アンチョビーソースを生地の下味に使うお好み焼き……。発想は自由で、奇想天外。だが、その不思議な手料理は、食べた人をたちまちファンにしてしまう。

 見た目にもこだわる。「どんなにおいしい料理でも、食器や盛りつけなどのビジュアルが悪いものはダメ。味が変わってしまう」というのが持論。

 大きめの真っ赤な漆や土ものの風情あるおわんに、控えめに盛りつけられた黄色が映える。脇に置かれているのは、柄の長いスプーン。「きれいで、おいしそうで、どこの一流店の高級料理かと思うよ。ただの卵掛けご飯やけどな」。こだわりの一杯は、デザイナーとしての生き方そのものを表しているようだ。

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2003/07/16

ロワゾーさんのお言葉

「ありふれたものを美味しく食べる」には思想があり技術がある。「食べることは生きること」この言葉は、おどろくべきことに、そして当然のことなのだが、フランスの有名な三ツ星レストラン<ラ・コート・ドール>のオーナーシェフ、ベルナール・ロワゾーさんが口にしているのだ。『NHK未来への教室 SUPER TEACHRS 明日への船出』(NHK出版)に載っている。

彼は、こう言う。「私にとって『食べる』という行為は、生きていることを実感する、一番美しい瞬間です」

彼は、また子供達にむかってこう言う。「私だって、君たちのお母さんに負けない、おいしい料理をつくりたいと思っているが、それは不可能だ! だって、誰にとってもお母さんの味が世界一なのだから!」

「ふつう民間」の料理を見下してきた日本の料理人からは、こういう言葉は聞かれない。日本の料理人には、ロワゾーさんのように、「家庭料理こそが食の原点」という思想がなかった。それはまた「ありふれたものを美味しく食べる」思想の欠如につながっている。

しかし現実の生活では、「ふつう民間」では、「ありふれたものを美味しく食べる」ことが必要とされていた。「家庭料理こそが食の原点」だった。でもそれは、現実的にそうだったのであって、確固とした思想だったわけではない。

それは、むしろ「貧しい食事」と卑下され、「ふつう民間」の料理を見下す思想のもとで、「恥ずかしいもの」という劣等意識をもたされてきた。

だから、70年代以後バブルの時代に、多少の金銭的ユトリの「中流意識」の家庭が競ってそれを捨て、きらびやかなウンチクにまみれたハリボテのグルメに走ったとしても当然といえば当然だったのだ。

日本は、あるいは日本の料理人はフランス料理から多くを学んだはずだが、この根本だけは学ばなかった。そして、こんにちのグルメは、「家庭料理こそが食の原点」「ありふれたものを美味しく食べる」という基本を欠いた、ある種、奇形な存在となった。

それは、日本料理の奇形な存在と深くかかわっている。

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2003/07/14

ありふれたものを美味しく食べる……温サラダ

1990年江原恵さんは、『辰巳浜子―家庭料理を究める』を書いた。リブロポートの「シリーズ民間日本学者」のなかの一冊で、編集部からの依頼だった。

NHKテレビの料理番組「きょうの料理」は1957年に始まる。初期の主な出演者といえば江上トミ、赤堀全子、飯田深雪、河野貞子、土井勝、辻嘉一、といった顔ぶれだが、そういうプロに混じって辰巳浜子さんがいた。

彼女は、夫が大会社の役員とはいえ、サラリーマンの主婦で「ふつう民間」の料理のひとだった。ついでにいえば、1977年に亡くなっている。1960年『手塩にかけた私の料理』1969年『娘に伝える私の味』1973年『料理歳時記』と、シロウトらしいペースでの出版で名著を残した。

江原恵さんの『辰巳浜子』のイチバンの面白さは、その3冊の名著を比較して、辰巳浜子さんがテレビに出演し有名になりプロの料理人との交流がふえるにしたがい、その影響を受けて彼女が、あるいは彼女の料理や料理に関する著述が、どう変化したかに触れているところだ。「家庭料理と料理屋料理―辰巳浜子の遺した課題」である。

ま、それはともかく、辰巳浜子さんは、暑い夏に子供達のために「煮サラダ」をつくった。ちかごろでは「温サラダ」といわれる。野菜の蒸し煮で、おれもときどきつくる。江原恵さんもつくっていた。

江原恵さんの調理法は「玉葱、トマト、人参、じゃがいも、ピーマンまたはさやいんげん、それにチージとバター、塩、胡椒という、ありふれた野菜の蒸し煮である。厚地の深鍋に下から右に書いた順序で、さやいんげんかピーマンを一番上に重ね、塩胡椒を適当にふりかける。その上に小さなさいの目に切ったチーズを散らし、バターをおき蓋をかぶせて密閉する。ガスは初めからとろ火にする」

もちろん野菜はテキトウに切る。おれの場合は「玉葱、トマト、人参、じゃがいも」のほかの材料が違う。キャベツを使う。ほかに辰巳浜子さんのようにベーコンを使うことが多いが、使い方が違う。ようするにイロイロにやりようがある。ありふれたものを美味く食べることを体験するには、じつによい。

うーむ、食べたくなったなあ、これがビールのつまみにもよいのだ。夏は、けっこう身体がよわっているから、温サラダはなかなかよい。

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2003/07/10

ありふれたものを美味しく 2

たとえば、かの有名なフランスの料理学校コルドン・ブルーの東京校のサイトでは、このようにフランス料理を説明する。

「フランス料理は地方料理の集大成といわれるように、フランスの各地方は、それぞれが特色豊かで、独自の伝統的な郷土料理がたくさんあります。初級コースでは、基礎コースで習得した基本技術をもとに、より高度な調理法、複数のテクニックの組み合わせなどを、フランスの地方料理のレシピを通 じて学んでいきます。日本人でも耳にしたことのある、アルザスのシュークルート、トゥールーズのカスレ、マルセイユのブイヤベース、などが登場します。地方料理をはぐくんできたフランス各地方の文化を訪ね、フランスのガストロノミー文化の奥深さを垣間見ることができます。」

「フランス料理は地方料理の集大成」であると。地方料理を通じて学ぶのであると。フランス料理においては伝統は郷土料理にある。もちろんその郷土料理は家庭料理でもある。他の国においても、このように明快に定義しているとは限らないが、実体としてそうなのだ。

がしかし、わが日本料理はちがう。「日本料理」は地方料理の集大成ではない。前に日記で書いたように日本料理の伝統は懐石各派や四條流などの「流派料理」にある。しかも日本料理は、郷土料理やその母体である家庭料理を「シロウト料理」と言って見下してきた。日本料理は自分たちの庖丁の冴えを自慢することはあっても、このコルドン・ブルーのように、地方料理や地方文化に敬意を払ったことはない。

日本料理は「中央」「上層」の料理であり、そこで食べさせてもらってきた料理人の料理なのだ。それは「中央」「上層」ならではの特別の選び抜かれた材料、素晴らしいシュンの材料に頼ったものであり、その料理は「ありふれたものを美味しく食べる」料理とは、美味学の根本も技術も異なっていた。その料理屋料理、料理人料理に美味学を求めても、日本料理つまり家庭料理に未来があるわけではないと、江原恵さんは主張した。

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