ありふれたものをおいしく。「料理」は変わる。
時間がないから、ネットでみつけた、この記事だけメモしておく。ときどき書いてきたことだが、近年、料理は、あるいは料理に対する考えは、大きく変ってきている。「ありふれたものをおいしく」は、もともとキホンだったのだが、今後ますます語られるようになり、かつ磨かれていくことになるだろう。つまり、「あんなものは料理ではない」といわれてきた、生きること、働く生活のなかの料理が、やっと、「料理」として見直され、あたりまえに語られるようになる。この「変化」は大きい。告知してある連載「わははめし」も、この流れといえる。
(2009年7月14日 読売新聞)より
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20090714-OYT8T00281.htm?from=yolsp
「卵掛けご飯」 コシノヒロコさん
創造力駆使 服も同じ
「手間がかからなくておいしい私の料理は、働く女性や一人暮らしの男性にぴったりじゃないかしら」(東京・渋谷区で)=菅野靖撮影 「ずっと仕事中心の生活。献立を考え、買い物をして、料理するなんてしたことない。ただ『窮すれば通ず』で、冷蔵庫にあるものや残り物で何か作ることは得意やな」と笑う。
そんな自信作のひとつが卵掛けご飯だ。とても料理とは……と侮るなかれ。「私の顔を見るたびに、卵掛けご飯が食べたいと言う人がいるほどなんだから」
(略)
限りある材料と時間で、どうやって良いものを作るか? その点で、料理と服作りは似ているという。「違いは、舌で楽しむか、着て楽しむかだけ。良いもの作りには、創造力とコーディネート力が問われるわけよ」
卵掛けご飯にとどまらず、湯がいたインスタントラーメンをいためて花がつおとザーサイをまぶした焼きそば、アンチョビーソースを生地の下味に使うお好み焼き……。発想は自由で、奇想天外。だが、その不思議な手料理は、食べた人をたちまちファンにしてしまう。
見た目にもこだわる。「どんなにおいしい料理でも、食器や盛りつけなどのビジュアルが悪いものはダメ。味が変わってしまう」というのが持論。
大きめの真っ赤な漆や土ものの風情あるおわんに、控えめに盛りつけられた黄色が映える。脇に置かれているのは、柄の長いスプーン。「きれいで、おいしそうで、どこの一流店の高級料理かと思うよ。ただの卵掛けご飯やけどな」。こだわりの一杯は、デザイナーとしての生き方そのものを表しているようだ。