2010/05/25

酒代のため、どう・いっと・ゆあ・せるふ。

005ウチは、いわゆる「9坪ハウス」だから、近所を見回しても、一番小さな家の、そのまた半分ぐらいの大きさだ。だけど、クルマがないので、車庫スペース分ぐらいの庭スペースがあり、そこにウッドデッキを装備している。ウッドデッキにしたのは、なかの狭い部屋を広く感じさせるためだ。

前の木造の古いアパートから越してきてわかったのは、前の2DKの賃貸の面積とあまりかわらない、こんな小さな家なのに、すごくメンテナンスの必要が多いことだ。

このウッドデッキも、その一つ。防腐のため、塗装の塗りかえをしなくてはならない。ほんとうは一年ぐらいのうちにやらなくてはいけないのだが、ぐずぐずのびて、引っ越してから1年半ぐらいになった。「一年半」が基準の小説やら随筆のたぐいが、いくつかあったようにおもうが、ケジメの限界であるようだ。1年という習慣的な単位があって、1年以上は待てないとおもっても、1年半ぐらいまではガマンできる、それ以上は長すぎる、ということだろうか。

そこで、業者に頼むか、自分でやるかの選択がある。しかし、たいして考えるまでもない、5万以上かそこら払うなら、そのぶんで酒を飲みたい。

002そう決めたのだが、道具を買ったり、使いたい塗料をネットで取り寄せているうちに、先日の晴天続きはすぎてゆき、雨模様に変った。ぐずぐずしていると、梅雨になる、塗装の劣化の状態からすれば、かなりヤバイことである。

きのうは一日、けっこう降った。今朝、目が覚めたら、晴れていた。7時過ぎ、取り掛かった。ウッドデッキの上の、植木鉢などを動かし、まずは水洗いで、ウッドについた汚れを落とす。

と、まあ、そういうことなんだが、こんなことを、こと細かに書いてもしょうがねえな。きのうの雨で、ウッドデッキは水を含んでいるのに、さらに水洗いをしたから、乾くのにすごく時間がかかり、塗装を始めたのは15時ごろだった。刷毛で、一度塗って、もう一度。ほんと、狭い家の狭いウッドデッキでよかった。

017_2乾かしている途中、2階からのぞいたら、猫がきていた。よくうろうろする猫が、3匹いて、そのうちの一匹だ。なぜか、どの猫も、この位置を確保したがる。この位置には、ふだんは植木鉢を置く棚があるのだが、その下にもぐりこんだりしている。ときには、二匹がはちあわせ、激しいうなりあいのにらみあいをやっている。

ま、とにかく、夕方には終了したのである。ひさしぶりに、肉体を激しく動かすことをした。

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最初の画像は、きょねんの6月のもの。おれはたばこを吸わないが、客が吸うのはかまわない。室内は禁煙ということではないが、ちかごろの喫煙者は、よく飼いならされているらしく、黙っていても、このデッキのテーブルセットのところで喫煙する。そのために用意したわけではないのだが。でも、家の中で吸うより、気持がよいかもしれない。

近所の家では、みなクルマがあるし、クルマが2台の家もある。だから、庭やウッドデッキなどのスペースは、うちの半分ぐらいが少なくない。そこで、その家のご主人が、立ったまま、たばこを吸っている姿を、ときどき見かける。夜は、薄暗いなかで、たばこの火が、わびしく見えることもある。ご本人の気持ちは、わからない。

なんか、「たいへんな時代」になったなあとおもう。

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2009/03/28

ついでに、さらにまた、虚実皮膜の間の棲家。

Uti_1f015なにやら今日明日はイベントの案内が多い。だけど連夜の泥酔で仕事がつかえ、外出自粛アタフタ状態だ。ま、息抜きに、きのうの続きの棲家、はやく載せろといわれていた、画像を掲載しよう。

壁紙やカーテンなど、インテリアのカラーの基調は、ベージュ系でコントロールされている。画像で白に見えても、実際はベージュ系だ。窓周りは、ロールカーテンか、布または木のブラインド。

床はユーティリィティと浴室洗面を除いて、キッチンコーナーも含め赤松の板張り。この赤松というのが、柔らかく、普通のスリッパでも表面が傷だらけになってしまうというシロモノだ。なので、専用のスリッパを用意するらしいのだが、素足のほうが気持よい、冬も裸足ですごした。

床暖房はないが、床板の厚さを3センチにした。今年の冬は暖かだったことがあるかも知れないが、冷たく感じることはまったくなかった。いつも、木の柔らかなぬくもりが足の裏に心地よい。

板張りは、なぜか「洋」のイメージだが、庶民の間に畳が普及したのは近代になってからだ。多くの庶民は、板の間と土間で過ごしていたのだ。戸は板戸だ。屋根だって板葺きだった。瓦や襖や畳や障子は、高価で贅沢なものだった。いまでも、そうだけどね。

赤松の床となれば、地方によるが、庶民の伝統といえる。だけど、いまどきは、「洋風中流風」に見えちゃうってのが、おもしろい。一方、知識のある「高級志向」の人たちは、赤松や杉なんか、バカにしている。人間の知識や感覚なんか、いいかげんなのだ。

ウチのばあい、というわけで、赤松と杉を主にしている。戸は、ぜんぶ、板の引き戸だ。貧乏庶民の狭い家は、板の引き戸が伝統であり普通だった。ただそれを意匠する人間は現代に生きている。その自分の「生活の柄」としてインテリアを選ぶ。伝統うんぬん、高級感うんぬんではない。結果的に伝統は破壊され再生される。

前にも書いたように、いたるところ、狭い家に対する工夫が追求されている。ウッドデッキも、おしゃれな流行というより、狭いリビングを広く見せるため。吹き抜け階段も、そう。

もともとモノがなく、自動車もテレビも自転車もタンスもない。ここに引っ越したときは、ほとんどの家具は造りつけだったから、持ってきたのは唯一、テーブルとイスだった。このテーブルのことは前に、2006/07/29「ワンカップ大関のお洒落な飲み方」に書いた。ウチの家具調度のなかで、おれが選んだ唯一のものだ。気に入っている。

Uti_1f01カンディハウスの、突き板張りトップ直径110の丸テーブル。突き板張りか、一枚板のつなぎかは、好みの問題だろう。どちらかといえば、突き板のほうがカジュアルなタッチで、一枚板のつなぎは重厚なイメージといえるか。狭い家に丸テーブルは贅沢であり、これだけが一点豪華主義のシロモノだ。最初は白っぽかったが、使い込んで、アメ色がいい感じになってきた。この木造の家も、そうなるだろう。

また文章がほめられることになってはいけないから、あまり書かないにしよう。おれは、こうして書いているが、前にも書いたように、ほとんど何も関与してない。家の外と中、虚実皮膜の間のデザインは、同居のツマのシゴトであります。

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2009/03/27

虚実皮膜の家の外側。お待たせの外観。

Uti_soto006aべつにもったいぶっていたわけじゃないが、ほかに書くことがあって、掲載するタイミングがなかった。とにかく外観を見せろという注文がウルサイので、載せる。

外壁材は、近年よく住宅だけでなく軽便な倉庫などにも使われるようになった、比較的新しい素材のガルバリウムと、いちおう「和風」の板張り黒塗りを、シンプルに組み合わせた。ま、ようするに、安上がりだけど、なんだか「こだわり」ありげなデザインに見えるという仕組みだな。ガルバリウムは、縦に凹凸の加工がほどこされている。装飾性は、できるだけ押さえて、というか、ほとんどない。

10月21日に引っ越したときには、植栽関係が手つかずだった。それが出来上がったのが、1月末だったかな。植栽の間に照明をつける工事が終わったのが、それからさらに1か月たっていた。これで、いちおう予定していた工事の全てがおわった。前に書いたように、あらゆるデザインにおいて、おれの考えは、ほとんど入ってない。ま、なんの「こだわり」もないし。

Uti_soto005前に掲載した2008/10/02「「虚実皮膜の間」に建つ家。」について、おれの照明に関する文章をお褒めいただくメールが多かった。たとえば、「ブログに書かれた灯りについての文章は、ゆっくり読むと本当に深く感じるところがありました」というぐあいに、いろいろ感想をいただいた。

つまり文章をほめていただいても、照明デザインやインテリアを褒めてもらったことにならない。と、同居のツマのインテリア担当は不服らしい。なので、今回は、文章は書かないでおこう。忙しいことでもあるし。

ついでだが、インテリア関係については、まるっきりド素人のわけではない。素人に近いが、プランナー稼業で店舗開発や、家具メーカーのブランド開発をやった関係で、それなりにオベンキョウをし知識はあった。とくに間接照明については、アメリカのイタリア人デザイナーと組んだ店舗開発のとき、彼が、間接照明を使って、安上がりにうまいデザインをしたので、関心を持った。ってことにすぎない。

これからは、白熱灯が生産されず使えなくなるので、蛍光灯で白熱灯の柔らさを演出するためにも、間接照明が大事になるだろう。

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2008/10/21

引っ越し日和。

引っ越を 何度やっても 地球のうえ

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虚実皮膜の間 みなジョーク

これが終 の棲家になるのかな 空のした


さいたま市浦和区から見沼区に引っ越しました。

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2008/10/02

「虚実皮膜の間」に建つ家。

Uti_0723きのうは同居のツマが建てた家の引き渡しがあって、ついていった。

いつだったか、家を建てるけど、一緒に住むなら「書斎」をつくってあげるといわれ、どうしようか考えたが、転がっていくところもないし、メンドウなので一緒に引っ越すことでお願いした。

いまのアパートは、ちょうど10年住んで、この10月は2年に1回の契約更新の時期なのだ。おなじところに10年も住んだのは、10歳ぐらいまで住んだ故郷の家いらいだろうか、2度目ぐらいだろうか。そろそろ引っ越しのタイミングではある。

「家を持たない主義」にこだわるひともいるけど、おれは、あまりそういうこだわりはない。転々とするのは好きで、そのように生きてきたけど、どうしてもそうしていたいこだわりもない。住むところや着るものがかわっても、中身はたいしてかわらないで生きている、つもりだ。ま、住むところや着るものがちがっても、ムードや雰囲気に流されない、いつだって、おれはおれなのだ、ということかな。それは、チョイとかっこうよすぎるか。「虚実皮膜の間」に生きる。

Uti_2_1それに、この家は、同居のツマが建てた家で、おれは、これまでもそうだったが、ハウスキーパーみたいなもんだ。であるから、この家を建てるにあたって、土地を買うにしても、イザというときにはニラミを効かす「夫役」がいたほうが心強いとかで、そういうときは「ついてきて」と言われ、何回か「夫役」としてついていった。それだけだった。

そういうわけで、ここに、引き渡しのすんだ家の画像を載せるのも、「載せといて」といわれたからだ。

Uti_1_3というのも、同居のツマは、(という書き方をしていると、では「同居じゃないツマがいるのか」と聞かれるが、はてね、刺身にツマが必要なように、いろいろなツマがありますな)、某住宅メーカーでインテリアの仕事をしている。人様の家のインテリアをデザインというかコーディネートというかしている。そういうことをしていると、いつかお客のためではなく、自分の好きなようにやってみたいと思うのは、しごくトウゼンだろう。「家を持ちたい」というより、自分が好きなように家を造ってみたいということなのだ。そして、できあがると、それを、とくに関係者に見てもらいたいのだな。

お客さんの仕事でも、社内コンペのようなもので、いい成績をとったり、なにかに紹介されるとうれしいらしいが、自分が好きなようにやったものではない。好きなようにやりたいために、自分は木造住宅を得意とするメーカーに勤めているのに、世間的にも評判のよい会社なのに、社内のひとに頼むのは、それなりに気をつかったりやりにくさもあるらしく、さいたま市の地元で木造が得意な設計施工会社を見つけた。ベッドとテーブルセットをのぞく家具や照明のデザインなど、もちろん壁紙から床板の選択、インテリアは好きなようにやったらしい。

なので、これは、自分の自己満足な仕事を関係者にみてもらうためなのですね。だから、チョイと宣伝ぽく書いておくとしよう。

Uti_1_1ま、なんでも表現というのは、ニンゲンの錯視や錯覚を利用するものだとおもうけど、狭い空間を広くみせる工夫、狭い空間でも落ち着いてゆったりすごせる工夫は、インテリアしだいだが、そのへんは、10数年のキャリアならではのものがあるようだ。とくに、間接照明やダウンライトをふんだんにつかっているのが、特徴的だろう。全体の明るさを一灯で左右するような光源は一つも使用してない。そして、四つの回路の切り替えで光の組み合わせと調光ができるようになっている。

画像は、新築のうえ表面に透明の塗りがあるので、白木に輝いてみえるが、実際は、ボンヤリの照明であり、白木が2,3年してアメ色にかわっていくにしたがい、さらに落ち着いた雰囲気になるだろう。こんにち「渋い」なんていわれる木造の建物も、新築当時は、白っぽかったのだ。

Uti_2_3いまでは、このように間接照明やダウンライトを使うのは「おしゃれ」ということになっているけど、80年代前半までは、陰のある薄暗い「負」のイメージで、あまり好感はもたれなかった。当時、飲食店や食べ物の販売店に、こういう照明を使おうとすると、ほとんどダメがでた。ごく一部の「高級」ムードの演出に使用されるていどだったし、デザインも稚拙だった。

そのころは、一般的には、直接照明のピッカピカの、まぶしいほど白っぽく「明るい」のが「正」とされた。そういや、糸井重里さんの「ピッカピカの一年生」がヒットしたな。宮崎美子、いい味だす俳優に成長したが、「いまのキミはピカピカに光って」と騒がれたものだ。まぶしいほどのピッカピカは、高度経済成長中流意識風「おしゃれ」だったといえるだろうか。そして、いまでも、工事の容易さもあって、直接照明が圧倒的なシェアを占めているだろう。

それに、「負」のイメージはトコトン排除し明るく見せたがる志向は、依然として根強いようだ。最近、首相になったナントカという男も、所信表明で、日本人は明るくなければならないかのようなことを言っている。「負」や「負い目」をぐっと抱えて、なおかつ明るくという「在り方」は、そこでは問われない。んで、金融経済の悪化の最中なのに、その「負」に対する策は提示されることなく、パフォーマンスのような野党批判を「所信表明」でやる。どうやら、そのように、「負」を抱えない「明るさ」でなければいけないようだ。それは、オボッチャンやバカの明るさだろう。

話がずれたか。

トツゼンだが、きょうは、ここまで。
とにかく、今月は引っ越しをしなくてはならない。本も含め、あまりモノがないうえに、家具はつくりつけになったから、ほとんど捨てることになり、運ぶものは少ない。とはいえ、メンドウなことだ。

画像いちばん上は、施工中の木造の骨組みが見えているころの7月23日のハウスキーパーの「書斎」と称する仕事場。そのつぎは、きのうの状態。カーテンなどは、これからだ。

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