酒代のため、どう・いっと・ゆあ・せるふ。
ウチは、いわゆる「9坪ハウス」だから、近所を見回しても、一番小さな家の、そのまた半分ぐらいの大きさだ。だけど、クルマがないので、車庫スペース分ぐらいの庭スペースがあり、そこにウッドデッキを装備している。ウッドデッキにしたのは、なかの狭い部屋を広く感じさせるためだ。
前の木造の古いアパートから越してきてわかったのは、前の2DKの賃貸の面積とあまりかわらない、こんな小さな家なのに、すごくメンテナンスの必要が多いことだ。
このウッドデッキも、その一つ。防腐のため、塗装の塗りかえをしなくてはならない。ほんとうは一年ぐらいのうちにやらなくてはいけないのだが、ぐずぐずのびて、引っ越してから1年半ぐらいになった。「一年半」が基準の小説やら随筆のたぐいが、いくつかあったようにおもうが、ケジメの限界であるようだ。1年という習慣的な単位があって、1年以上は待てないとおもっても、1年半ぐらいまではガマンできる、それ以上は長すぎる、ということだろうか。
そこで、業者に頼むか、自分でやるかの選択がある。しかし、たいして考えるまでもない、5万以上かそこら払うなら、そのぶんで酒を飲みたい。
そう決めたのだが、道具を買ったり、使いたい塗料をネットで取り寄せているうちに、先日の晴天続きはすぎてゆき、雨模様に変った。ぐずぐずしていると、梅雨になる、塗装の劣化の状態からすれば、かなりヤバイことである。
きのうは一日、けっこう降った。今朝、目が覚めたら、晴れていた。7時過ぎ、取り掛かった。ウッドデッキの上の、植木鉢などを動かし、まずは水洗いで、ウッドについた汚れを落とす。
と、まあ、そういうことなんだが、こんなことを、こと細かに書いてもしょうがねえな。きのうの雨で、ウッドデッキは水を含んでいるのに、さらに水洗いをしたから、乾くのにすごく時間がかかり、塗装を始めたのは15時ごろだった。刷毛で、一度塗って、もう一度。ほんと、狭い家の狭いウッドデッキでよかった。
乾かしている途中、2階からのぞいたら、猫がきていた。よくうろうろする猫が、3匹いて、そのうちの一匹だ。なぜか、どの猫も、この位置を確保したがる。この位置には、ふだんは植木鉢を置く棚があるのだが、その下にもぐりこんだりしている。ときには、二匹がはちあわせ、激しいうなりあいのにらみあいをやっている。
ま、とにかく、夕方には終了したのである。ひさしぶりに、肉体を激しく動かすことをした。

最初の画像は、きょねんの6月のもの。おれはたばこを吸わないが、客が吸うのはかまわない。室内は禁煙ということではないが、ちかごろの喫煙者は、よく飼いならされているらしく、黙っていても、このデッキのテーブルセットのところで喫煙する。そのために用意したわけではないのだが。でも、家の中で吸うより、気持がよいかもしれない。
近所の家では、みなクルマがあるし、クルマが2台の家もある。だから、庭やウッドデッキなどのスペースは、うちの半分ぐらいが少なくない。そこで、その家のご主人が、立ったまま、たばこを吸っている姿を、ときどき見かける。夜は、薄暗いなかで、たばこの火が、わびしく見えることもある。ご本人の気持ちは、わからない。
なんか、「たいへんな時代」になったなあとおもう。
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なにやら今日明日はイベントの案内が多い。だけど連夜の泥酔で仕事がつかえ、外出自粛アタフタ状態だ。ま、息抜きに、きのうの続きの棲家、はやく載せろといわれていた、画像を掲載しよう。
カンディハウスの、突き板張りトップ直径110の丸テーブル。突き板張りか、一枚板のつなぎかは、好みの問題だろう。どちらかといえば、突き板のほうがカジュアルなタッチで、一枚板のつなぎは重厚なイメージといえるか。狭い家に丸テーブルは贅沢であり、これだけが一点豪華主義のシロモノだ。最初は白っぽかったが、使い込んで、アメ色がいい感じになってきた。この木造の家も、そうなるだろう。

べつにもったいぶっていたわけじゃないが、ほかに書くことがあって、掲載するタイミングがなかった。とにかく外観を見せろという注文がウルサイので、載せる。
前に掲載した2008/10/02「「虚実皮膜の間」に建つ家。」について、おれの照明に関する文章をお褒めいただくメールが多かった。たとえば、「ブログに書かれた灯りについての文章は、ゆっくり読むと本当に深く感じるところがありました」というぐあいに、いろいろ感想をいただいた。


きのうは同居のツマが建てた家の引き渡しがあって、ついていった。
それに、この家は、同居のツマが建てた家で、おれは、これまでもそうだったが、ハウスキーパーみたいなもんだ。であるから、この家を建てるにあたって、土地を買うにしても、イザというときにはニラミを効かす「夫役」がいたほうが心強いとかで、そういうときは「ついてきて」と言われ、何回か「夫役」としてついていった。それだけだった。
というのも、同居のツマは、(という書き方をしていると、では「同居じゃないツマがいるのか」と聞かれるが、はてね、刺身にツマが必要なように、いろいろなツマがありますな)、某住宅メーカーでインテリアの仕事をしている。人様の家のインテリアをデザインというかコーディネートというかしている。そういうことをしていると、いつかお客のためではなく、自分の好きなようにやってみたいと思うのは、しごくトウゼンだろう。「家を持ちたい」というより、自分が好きなように家を造ってみたいということなのだ。そして、できあがると、それを、とくに関係者に見てもらいたいのだな。
ま、なんでも表現というのは、ニンゲンの錯視や錯覚を利用するものだとおもうけど、狭い空間を広くみせる工夫、狭い空間でも落ち着いてゆったりすごせる工夫は、インテリアしだいだが、そのへんは、10数年のキャリアならではのものがあるようだ。とくに、間接照明やダウンライトをふんだんにつかっているのが、特徴的だろう。全体の明るさを一灯で左右するような光源は一つも使用してない。そして、四つの回路の切り替えで光の組み合わせと調光ができるようになっている。
いまでは、このように間接照明やダウンライトを使うのは「おしゃれ」ということになっているけど、80年代前半までは、陰のある薄暗い「負」のイメージで、あまり好感はもたれなかった。当時、飲食店や食べ物の販売店に、こういう照明を使おうとすると、ほとんどダメがでた。ごく一部の「高級」ムードの演出に使用されるていどだったし、デザインも稚拙だった。
それゆけ30~50点人生。
