2021/11/06

癌診療、その後。

6月16日に癌診療16回目を投稿し、6月30日に新しい薬を処方してもらいに病院へ行ったことを書いて、その後の7月20日の17回目も8月17日18回目の通院診察についても書いてなかった。

2021/08/23
リハビリ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2021/08/post-129ff9.html
に書いたような事情で、ブログをほったらかしていたからだ。

さらにその後、9月14日に19回目の診療あり、10月12日に20回目の診療があり、大きな予想していなかった変化があった。

病院が変わったのだ。

この間、というか4月頃から、腫瘍マーカーは改善されることなく少しずつ増え続け、それでも低く抑えられていたのだが、7月頃から高いレベルで急増するようになった。発熱や痛みといった症状も日常的になった。

もうこれまでの療法ではダメだ、あとは化学療法(抗癌剤治療)と放射線治療しか残されていない。

ってことで、10月12日の診療のときに主治医が、放射線療法となると埼玉県のがんセンターのほうが設備も整っている、紹介状を書くからそちらを受診してみてはどうかと言い出した。

それで変わることになった。

翌日13日、紹介状をもらいに行き、すぐがんセンターを予約したら、早くて11月2日だった。大病院は、これだからねえ。

ってことでがんセンターの診察を受け、来週10日にはMRIと骨シンチの検査をやり、15日の診察でどういう療法にするか決まる。

紹介状と一緒にこれまでの治療経過を書いたものとCT、MRIの画像を持って行ったのだが、それを見た限りでは抗癌剤治療のほうがいいかも知れないとがんセンターの医師はいった。

同じ画像を見ても、前の主治医と今度の主治医になる医師とは、かなり見立てが違うところがあり、腫瘍マーカーに対する考え方のレベルでの違いもあり、なかなか面白かった。

「セカンドオピニオン」とかいうものには、まったく興味がなかったが、「客観的」あるいは「科学的」といわれる数値や画像について、これだけ判断の違いがあるとなると、なかなか面白い。とはいえ、結末は同じで、末期癌が奇跡的に治ったりなんてことは、よほどのことがない限りないのだが。

とにかく、病院が変わるので、服用の薬の空白期間ができる。現在は、日々の発熱と痛みに解熱鎮痛剤だけで対処している状態だ。15日まで。

色気のない話だったので、例の弁当の写真を載せておきますね。10月のものです。4枚一組なのは食べる人=撮る人の出勤が週4日だから。

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2021/10/20

弁当をつくる。

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7月4日から週に4日(金・土・日・月)、弁当をつくっている。

3月末で定年退職した妻が、週4日ていどの出勤でパートの口を求めていたが、同じ会社の別の支店から声がかかり7月1日から任用になった。前の支店では弁当がくえる休憩室があったが、こんどの支店ではどうかわからない、一度出勤して休憩室をたしかめてから、弁当を持っていくことにした。こんどは時間給だから、前のように昼休みぐらいは外へ出たいなんていってられない。

つくり始めの頃は、おれは朝食前の空腹時(ということは朝食の1時間以上前)にのまなくてはならない薬があり、5時半頃から4キロ40~50分歩いたのち、6時半頃に薬をのんで弁当をつくっていた。

いつごろからだったか、微熱と痛みが断続的に続いたのち、右ケツの痛みが激しくなり歩くのがシンドクなり、8月の下旬には15分も続けて歩くと息が上がって歩けなくなるような状態になった。なので、早朝の歩きはできなくなり、朝は弁当だけをつくるようになった。

弁当づくりは日課になっていて、これがなければ日課といえるのは薬をのむことだけになってしまう。薬をのむことが日課だとしても、これだけでは「生活」というより「療養生活」「闘病生活」であり、「生活」とはいいがたい。ま、たしかに、「療養生活」「闘病生活」を送っているのではあるのだけど。弁当づくり、食事のしたくをして食べることは、「生活」の軸なのだ。

てなリクツはともかく、弁当づくりは、けっこう面白い。料理は面白いが、食卓の食事のための料理にはない面白さがある。制限や条件などが多い。

最近は、弁当づくりにかけられる時間は15~20分が身体的限界で、それをこえるとシンドクて、たまにこえるのだけど、そういうときはできあがるとドッと疲れ、「はぁ、やったぁ~」とすぐ横になって一休みする。そういう時間や身体の制限も、面白さに関係する。

リハビリのつもりで書いているから、これぐらいでオシマイにしよう。

写真は妻が撮ったもの。

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2021/10/07

スマホで試し書き。

前回「リハビリ」の投稿は8月23日だった。

リハビリは一歩も進まず挫折している。リハビリと書くことを甘くみていた。というか、その仕組み、あるいは構造などについて、まったく考えたことはなかったし理解してなかった。

書くには、集中力と持続力それに思考力が必要で、個人差はあるだろうが、その最低レベルがなくては、リハビリも難しい。

もとは病気が原因だが、厳しい薬の副作用による「倦怠感」が問題なのであった。これが、集中力や持続力や思考力を奪う。

もしかすると何か原因があって集中力や持続力や思考力が失われた状態を「倦怠感」というのかもしれないが。これが、なかなか自分でもわかりにくいし、理解が難しい。

少しまえ、主治医に「倦怠感って、どんな具合になるんですか」ときいた。するとデスクの端を指し「そこまで歩くのも大変になりますよ」。そんなことがあるのかと思ったが、あるのだ。

普通はなれてしまっているが、思ったとうりに足や指を動かすには、様々な作用があり、なかでも内分泌物による作用はわかりにくい。

おれの身体に施されている治療は内分泌療法ってもので、ただでさえたいがいの病気は倦怠感をもたらすのに、この治療薬の副作用で倦怠感が勢いづいている。

ツイッターの140字書いただけでも、ドッと疲れる。

いま、もうこのテキストもやめにしたい。

それはそうと、この投稿は、スマホを使っている。初スマホ投稿だ。

椅子に腰かけパソコンに向かうのはシンドイが、寝転がってスマホで文書作成は、いくらか楽のようだ。

でも、不馴れもあってだろう、疲れる。もうだめ。

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2021/08/23

リハビリ。

ひさしぶりです。

7月から一度も書いてなかった。7月20日には17回目の、8月17日には18回目の診療があったのに、それすらも書いてない。

7月から飲み始めた新しい薬は、副作用がけっこうキツイ。それに、右のケツの骨のあたりが痛むようになって、直接的には、これが原因で、長い時間腰かけていられないのだ。立ち仕事や歩いているときは、痛みは感じない。

パソコンにむかうのは、ツイッターの140文字ぐらいなら問題ないが、せいぜい30分ぐらいが限界。長くなると、痛みは右のケツの骨から足の膝下までにおよび、夜はよく眠れないほど痛んだ。

薬の副作用、病気の進行、それに夏バテが加わっていたかもしれない。

7月からこちら、3,4日続く熱が(37度前後ぐらいまでが)3回あって、そのたびに痛みは厳しく寝不足気味になった。

とにかく、身体がすっかり弱った。

8月17日は美術同人誌『四月と十月』に連載の「理解フノー」の原稿締め切りだった。

1000字ちょっとの量だが、11日から14日まで熱と痛みが続いていたので、今回は書けないかもしれないなあと思っていたら、15日に熱はひき痛みも軽くなったので、一気に書いた。

痛みは軽くなったりきつくなったりしているのだが、これは、この病気につきもので、これからますます付き合わなくてはならないものだろう。

だからといって、このまま書かないで終わるのも、それもいいかもしれないが、チョイとつまらない。

リハビリがてら、少しづつ書いてみようと思った。

ってことで、今日は、ここまで書いてみた。

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2021/06/08

『スペクテイター』48号「パソコンとヒッピー」。

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パソコンとカウンター・カルチャーの関係を解き明かした力作。

スティーブ・ジョブスがヒッピーだったとか、ヒッピーの影響を受けたとかは、一時話題になったが。その話も出てくる。

2019年44号「ヒッピーの教科書」、同年45号「日本のヒッピー・ムーヴメント」を特集してきた『スペクテイター』の最新号は「パソコンとヒッピー」だ。

4日ほど前だったかな、編集部からの郵送でいただいた。赤田祐一さんのご厚意によるものだろう。ありがとうございました。

この特集タイトルには、少し意表を突かれたが、読んでいるうちに思い出したことがたくさんあった。過剰に加速する情報環境の中で、知識を積み重ね編んでいくことを忘れがちだ。それを『スペクテイター』編集部がやってくれている。ということだね。

60年代70年代のカウンター・カルチャー(対抗文化)については、「ヒッピーの教科書」と「日本のヒッピー・ムーヴメント」に詳しい。ただふりかえるのではなく、いま、の視点でとらえなおしている。まさに、編集だ。

そのカウンター・カルチャー、「ヒッピーには二つのタイプがあった」。

一つは、日本では、こちらのほうがよく知られている「自然回帰」を志向しテクノロジーを否定するタイプであり、もう一つはその逆、「テクノロジーの進歩が不可避的に社会を変えるというアナキストで、ジッピーのタイプ」(本書38)

『スペクテイター』2020年47号「土のがっこう」は、自然回帰志向の流れに位置するだろう。そして、今回は、後者の流れになる。そう、おれは読んだ。

この二つのタイプは、同じ根を持っている。とくに近代文明に対抗し、人間性の回復を志向することだ。

ヒッピーが、どうパソコンにつながっていったか。その発想からテクノロジーまでを語る「パソコンの発生とヒッピーの発想」関根美有(作画)+赤田祐一(原作)は、ほんと、ややこしい関係を上手にまとめていて、力作だ。まさに、編集力。

もくじで見ると。

0 「全地球(ホールーアース)」という世界観を求めて。

1 コンピュータとヒッピーを結びつけた『ホール・アース・カタログ』

2 ターニング・ポイントだったヴェトナム戦争

3 LSDとコンピュータは同じツールだ

4 サンフランシスコ・バークレーは学生運動とヒッピー文化発祥の地

5 コンピュータはソ連とアメリカの冷戦で成長した

6 「ハッカーは遅れてきたビート族、初期ヒッピー・カルチャーと同じ人種だ」とスチュワート・ブランドは笑った

7 「人民のためのコンピュータ」という思想が生み出された

8 パソコンは人と人がつながるための有用な道具だ

9 アルテアの衝撃。ミニ・コンがビートルズを唄った日

10 ハイ・テク時代のトリックスターがハッカーだった

LAST CHPTER もっと共生的に。人間とパソコンの関係

RE THINK われわれはスローなギークになれるか?(編集部による考察)

6と7のあいだに、講師:桜井通開(文とイラスト)による「コンピュータのABC」が「進法」やら「計算の歴史」やらコンピュータの仕組みのABCを解説、勝川克志の絵による「クロニクル・テクノロジー 1960年—80年」が、色ページで。

ロング・インタビューが圧巻。

「自然派ヒッピー?電子派ジッピー?真のカウンター・カルチャーを体現するのはどっちだ?!」ってえことで、能勢伊勢雄が登場。

能勢伊勢雄は、1995年に第三書館から発行の『サイバーレボリューション パソコン対抗文化の未来』金田善裕・編、に「カオスの縁」という論考を寄稿しているそうだが、こういう人を「発掘」してきて、『サイバーレボリューション』の先駆性やら能勢をめぐるジッピーの生態やら活動やらヒッピーとジッピーの比較やらを語る。

ここで、ここだけではないが、「サイバネティックス」という言葉が出てきて、おう、そうそうとおれは思い出した。

たいして本のない本棚を探して、ノーバート・ウィーナーによる『人間機械論 第2版 人間の人間的な利用』(鎮目恭夫/池原止戈夫・訳、みすず書房1979年)を見つけたのだった。サイバネティックスについては、杉田元宜の『サイバネテックスとは何か 機械・生体・社会と比較システム論』(法政大学出版局1973年)で知って、この本をすり切れるほど読んで本棚のどこかにあるはずだが見つからない。

もうずいぶん、この言葉から遠ざかっていた。記憶の底に沈殿。この『スペクテイター』を読まなかったら、そのまま忘れてしまっていたかもしれない。

当時、仕事にしていたマケーティングとも関係あって、サイバネティクスにのめりこんだ。忘れても、身体のどこかに血となり肉となり骨となり、うっすらただよっているような気もする。

それはそうと、最後のロングインタビューは、「”指紋”と”コンピュータ”の知られざる関係」ってことで、高野麻子が登場する。「監視社会」や「監視文化」など、近未来も視野に入れた現代的な課題が提起されている。


みんなが使っているからと何気なく使っているパソコン、いつのまにかハマっているSNSやLINE。そこの、あなた!いや、このようにブログを書いているおれもだ。

この特集を読んで、よーく、考えてみよう。1100円は、すごくお買い得だよ。マジで。

2020/07/11
これからの台所をおもしろくするには。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/07/post-511a0d.html

2020/12/06
『スペクテイター』最新号「土のがっこう」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2020/12/post-c65d23.html

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2021/06/06

パソコンは回復?

パソコンの調子が悪くなったのはいつからだったか。電源、とくにスリープからの立ち上がりがフラフラするようになってから、2か月以上はたつだろう。

だんだんあちこちが重くのろくなり、ツイッターにはログインできなくなるし、インターネットも文書作成もサクサクとはいかず、精神衛生的にもよくない状態になるが、だいたい体調は十分とはいえず、長い時間パソコンに向かっていると、腰が痛くなり、夜の睡眠にまで影響するので、機嫌の悪いパソコンの相手はせずテキトウにしておいた。

もういつ買ったかも思い出せない道具だ。

しかし、新しく買うにはカネがいる。カネはない。このままほっておくわけにもいかない。本の原稿も書き進めなくてはならない。

ないないずくしだが、体調は少し上向きのようだ。

ってんで、とにかくWEBでいろいろ調べたら、同じころ同じような症状になった人たちがいることがわかり、どうやらウィンドウズの不具合らしい。

リカバリの一歩手前、「回復」というリセットをやってみることにした。これだって、バックアップされた文章や画像などは残るが、自分でセットアップしたアプリは失われるから、インストしなおさなければならない。ブログなどインターネットで利用しているサービスについては、パスワードの入力があらためて必要になる。整理が悪いから、それらを見つける手間を考えるだけでも嫌気がさす。

リセットなんていうメンドウは避けたい。

だけど、ウインドウズ様のことは、ウインドウズ様に従うよりしようがない。

パソコンといっても、「おれのパソコン」というより、もはやウインドウズ様の端末なのだ。

腹をくくって、きのう、リセットした。ほぼ一日かかった。

ツイッターにログインし復帰できたし、文書作成もサクサクいくようになった。おお、快適パソコンライフ。

今日は、当面必要最低のアプリをインストールした。picasaのように、使い慣れていたのに、もうなくなってしまった無料サービスもあった。

パソコンの寿命は、まだもつみたいだ。

 

 

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2021/05/29

酒を飲まなかった。

25日、病院からの帰り暑くてたまらんからビールを買って来て、飲んだ。ほんとうは、飲まなかったほうがよかったようだ。でも、のんだときは、うまかった。

26日、27日、28日は、飲む気にもならなかった。

今日は、飲む気が回復。昼間も夕食のときも飲んだ。

早朝歩き、昨日は5時すぎから約4キロ50分ほど。今朝は、5時半頃から約4キロ50分ほど。

倦怠感がねえ。

そうそう、電話もWEBも何度やってみてもつながらなかった新型コロナワクチンの予約、昨日の午後3時頃なんとなく電話をしてみたらつながった。宝くじに当たったようなよろこび。知らんけど。7月3日で、1か月以上先。

 

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2021/05/23

新型コロナワクチン接種と田んぼ。

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昨日、「新型コロナウイルスワクチン接種クーポン券」が送られてきた。接種順位1の昭和32年4月1日以前の生まれに該当するらしい。

明後火曜日は28日ごとの通院日なので、いちおう主治医に話してから、予約をするとしよう。おれにとっては、前回の注射後39度近い熱が出たことのほうがモンダイだ。

梅雨空が続き、一昨日、昨日、今日、5時頃には小雨が降っていて、早朝歩きはやめている。だけど、昨日は、昼頃の晴れ間に、北区の図書館と隣接するショッピングモールへ行った。どちらも混雑していた。7キロぐらい歩いた。

一昨日は、昼の晴れ間に、いつもの早朝歩きコースそばの田んぼの写真を撮りに行った。5キロ弱歩いたと思う。

見沼田んぼの中に、わずかに残る田んぼで、草ぼうぼう状態で耕作放棄かなと思っていたが、一か月ほど前だったか、耕し水を張り田植えを終えた。

田植え後の頼りない苗が、日々しっかり成長していく様子は、田の面も美しく、何度見てもいい。

ガキの頃から高校卒業するまでは、毎日見た景色だ。それが、スケールは小さいが近くにあるのは、うれしい。それで写真を撮っておこうと思ったわけだ。ほんとうは、早朝歩きのときにカメラを持って行って、昇ったばかりの太陽が田の面を照らす様子などが、なかなかよいのだが、カメラを持って歩く気はしない。

この田んぼの水は、見沼たんぼの西側を流れる見沼代用水西縁から枡で水量を調節しながら取り込む。

耕作地は西側から東側へ微妙に傾斜がついていて、水は流れながら何枚かの田を満たし、東側の水路に落ち芝川に流れこむ仕組みになっている。江戸時代から、ちゃんと計算されて開かれた農地なのだ。

苗を育てるには微妙な水の調整が大事といわれるが、田と田の間の水の流れを調整する仕切は、壊れかけたプラスチックの板とコンクリートの欠片のようなものだ。廃物利用。

微妙なことを、道具を選ばず、無雑作にやってのけていて、おもしろい。日々の料理も、こんな感じかな。

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2021/05/22

出た!熱烈応援!『ぶたやまかあさんのやり過ごしごはん』(講談社)。

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きのう届いた著者からの贈り物。とり急ぎ簡単に紹介。すでに書店に並んでいる。

こんなにうれしいことはない。

料理(研究)家や料理人や食ライターなどのように料理をショーバイにしているのではない、趣味ともちがう、普通の家庭の中の人が、働き生きる日常のデキゴトとしての料理と食事を綴る。

こういう本がほしかった。

「丁寧/手抜き」といった価値観とはアサッテの方向、「やり過ごし」の概念と実践。実況中継あり、レシピあり。

ひとりもんの自炊も、この本から始めるといいと思う。

著者、会社員にして「やり過ごしごはん研究家」、夫と子供3人の、ぶたやまかあさんことやまもとしま。著者の盟友?金沢詩乃さんのイラストもいいね。

デザイン/細山田光宣+細山田デザイン事務所。

もくじや著者紹介は、こちら講談社のサイト。電子版もあるよ。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000351830

ぶたやまかあさんのツイッター。
https://twitter.com/butayama3?lang=ja

当ブログ関連
2019/08/07
『暮しの手帖』に、ぶたやまかあさんとぶたやまライスが登場。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2019/08/post-00ec92.html

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2021/05/20

濃霧。

今朝は視界50~100mぐらいの濃霧のなか、5時15分頃から約4キロ50分歩いた。

朝飯くって薬1錠のんだ。

夜、9時までに夕飯くって就寝前の薬1種4錠のんだ。

「元気」や「勇気」や「希望」を「与える」だの「もらった」だの薄気味悪いことをいいやがって。脳ミソに霧でもかかっているのか。

元気も勇気も「だす」もんだろ、希望は「もつ」ものだ。

力強くめしくって、元気をだす、勇気をだす、希望をもつ。めしだ、めしをくえ。

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より以前の記事一覧